「漂白剤を超えた洗浄力!」で有名なアリエール。
黄ばみもこれで一発洗浄、汚れを落とした服は本来の白さを取り戻す。
服なら白くなればOKで、いつも白いままでいればいい。
でも、いろんな人種や民族が共存している人間世界はそんな単純じゃないのだ。
最近、米ディズニーが実写版『リトル・マーメイド』の予告編を公開すると、日本を含めて海外で大きな話題となった。
正確に言うと、賛成と反対に分かれて大きな議論を呼び起こす。
なんでそうなったのか、まずは映像を見てほしい。
王子さまに恋してしまった人魚のアリエルは魔女と契約を交わし、人間の姿になって王子に会いにいくーー。
そんな一途な恋心に危険フラグを潜ませて、全世界でヒットしたディズニー・アニメの『リトル・マーメイド』。
その下敷きになった作品は、デンマークの童話作家アンデルセンが1837年に発表した『人魚姫』で、原作で人魚は白人女性という設定だった。
関係ないんだが、そう言えばむかし家の近くに「アンデルセン」というパン屋があって、思い出補正かもしれないけど、かなり美味なパンを作っていた。
童話作家のアンデルセンも人魚姫のほかに、裸の王様、みにくいアヒルの子、雪の女王、赤い靴、マッチ売りの少女などすばらしい物語を世に生み出した。
これがもともとの人魚姫のイメージ
過去に公開されたディズニー・アニメでもアリエルの肌は白かった。
が、『実写版リトル・マーメイド』ではその前提をひっくり返して、黒人女性が人魚姫になる。
この設定には、
「アリエルの役はそれにふさわしい人にやってほしかった。黒人差別とは別でね」
と失望する見方と、こんな肯定的な意見に分かれて海外で議論となる。
「黒人でも白人でも別の人間でも、誰がなってもかまわない。“色”を気にするほうがおかしい」
日本でも多くの人が「コレジャナイ」と感じた。
東洋経済オンライン(9/18)
「実写版リトル・マーメイド」日本人が批判のなぜ 「白人のアリエル」を求めるのは人種差別なのか
ネットの書き込みを見ると、実写版にはやっぱり“アンチ”のほうが多いようだ。
・ディズニープリンセスは白人にしとけ
最近のはイメージぶち壊してるぞ
・黒人役を白人が演じることはホワイトウォッシュとか言って批判するんだから逆もまた然りだろ
・アートに政治的なものが混ざると何でもつまんなくなる
・ハガレンや進撃の巨人を日本人でやった日本が言えたことか
・原作で白い肌だったキャラを黒人が演じたらそら文句出るやろ
これまで白人だったキャラを別の人種が演じることは、ディズニーはこれまで何度もやっていて、いまさら別に驚くことじゃない。
『美女と野獣』では新しい”美の基準”を示したし、白雪姫はすでにラテン系の女性が演じた。次は、黒人女性が白雪姫になってもおかしくない。
今回、アリエルを演じたハリー・ベイリーさんにはとても才能のある女優&歌手だ。
まあ、ボクは彼女の演技を一度も見たこと無いんですけどネ。
でも、「ポリコレに迎合した」、「多様性に配慮しすぎて作品を台無した」といった批判を想定したうえで、ディズニー側がこの役をまかせられると判断した人だから、ハリー・ベイリーさんにはズバ抜けた演技力と歌唱力があることは間違いない。
日本とアメリカでは歴史がまったく違う。
過去が違うから、その積み重ねで築かれた現在もまったくの別もので、日米では社会の構造や価値観が大きく違っている。
1865年の合衆国憲法修正13条によって奴隷制が正式に廃止されても、黒人に対する白人の差別や憎悪の感情は根強く残っていて、1955年には白人女性に声をかけた黒人少年がリンチを受けて、片目をえぐられ銃で頭を打ち抜かれて殺害される事件が起きた。
その裁判で、犯人の白人男性に言い渡された判決は「無罪」。
トヨタが「クラウン」を発売し、集英社が「りぼん」を創刊した昭和30年に、こんな人種差別事件が起こったというのは日本人にとっては異世界の話だ。
織田信長が初めて見た黒人を気に入って、自分の家来にした(=名誉ある武士の地位を与えた)とか、日本にはアメリカのような黒人差別の歴史がまるで無い。
だからアメリカ社会で生きる黒人の気持ちも、一般の日本人には分かりにくい。
2009年にオバマ氏がアフリカ系(有色人種)として、初めて大統領選挙に勝利した時のこと。
当時、ニューヨークの大学に通っていた知人の黒人女性がキャンパス内を歩いていると、知らない黒人女性の学生が近づいてきて「オバマが勝った」と言って、2人は抱き合って泣いた。
それまで米社会で黒人がどんな地位や境遇に置かれていたか、自分も相手もよく知っている。
黒人がアメリカ社会のトップに立ったことの意味は、お互い言葉にしなくてもよく分かるから、こうしてすぐに気持ちを共有することができる。
彼女が子どものころから読んでいた物語では、いつも金髪で肌の白い女性が主人公だったから、自然とそれが「美しい」の基準になっていく。
そうした女性にあこがれると相対的に、自分は「美しくない」、「みにくい」と思うようになって自尊心を無くしてしまう。
今回、ディズニーが新しいチャレンジをしたことで、「誰でもアリエルになることができる」と世界中の子どもたちに思わせることには重大な意味がある。
多様性とは可能性。
オバマ大統領の誕生もそうだけど、チャンスや変化を感じさせることはいろんな人たちに自信を与える。
「アニメで親しんだアリエルが完全に壊された。悲しい」なんて感傷はSNSでつぶやくだけで十分。
アニメでお気に入りキャラの声優が変わった時にも同じ反応が出てくるし、こんなことはよくある。
ダレがどんな役を演じようと、見る/見ないの決定権は自分にあるという優位は動かない。
だから日本ではよくこう言う。
「イヤなら見るな」
人種と民族の違い。黒人の日本人(民族)がいて「ふつう」の時代
黒人か白人かはさておき、リアルを追求しても美しくはない。