17世紀の初め、日本では江戸幕府が成立したころ、オランダによるインドネシア支配がはじまった。
オランダはバタヴィア(いまのジャカルタ)を拠点にして支配領域を次々に広げ、最終的にはインドネシア全体を植民地化した。
インドネシアが解放されたのは1945年で、インドネシア人に支配期間をたずねると、よく300年や350年という答えが返ってくる。
インドネシアにあるヒンドゥー教の遺跡
オランダがインドネシアに到着した当時、現地には奴隷制度があり、先住民が奴隷市場で取引の対象になっていた。
オランダにも奴隷制度はあったから、彼らもすぐにフィットし、奴隷を使うようになる。
奴隷市場で購入する、または自分たちで奴隷を捕まえるだけでなく、奴隷を安く買うために先住民同士を戦わせることもあった。
こうすれば、戦闘後にたくさんの奴隷が市場で売られるから、“割安”で買うことができる。
ホント悪魔。
オランダ人によるインドネシア支配はまさに「鬼畜」。
奴隷の使い方は、農作業、製造業、サービス業、家事使用人、料理人、音楽家、妾(めかけ)などいろいろあった。
ある島の先住民を追放したり絶滅させて、そこに奴隷を送り込み、「奴隷だけの島」をつくり、強制的に労働させたこともある。
こんな動物同然の扱いをしていたら、当然、逃げ出す奴隷もでてくる。
それが成功したらいいが、失敗したら地獄だ。
逃亡した奴隷やその共犯者が捕まると、ムチ打ちやチェーンギャングの罰を受けたり、最悪の場合は処刑された。
Punishments for slaves could be extremely harsh— for instance, runaway slaves and their accomplices could be subject to whipping, chain gangs, or death.
チェーンギャングとは、奴隷や囚人の集団を鉄の鎖でつなぎ、逃げられないようにして、厳しい肉体労働をさせることをいう。
ほかにもオランダ人は、奴隷の手や耳、鼻を切断したり、生きたまま焼いたりする残酷な行為もしていたという。
女奴隷は主人に「性的サービス」を提供する義務があり、これを拒否すると、厳しい体罰を加えられた。
アフリカで行われたチェーンギャング
これをしたのは、おそらくイギリスかドイツだ。
しかし、奴隷制度に対する国際的な批判が高まり、オランダ領東インドでは1860年に奴隷制度が廃止された。しかし、実際には、その後も続いていた地域もあった。
太平洋戦争がはじまると、日本軍はインドネシアにも侵攻し、オランダ軍と戦った。
1942年のきょう3月9日、オランダ軍が降伏し、インドネシアは日本の軍政下に置かれることとなった。
オランダによる300(または350年)の支配が実質的に終了したのだ。
結果的に、インドネシアは「解放」されたことになるが、その後の日本の軍政も厳しかったから、インドネシア人が日本に感謝したという展開は期待しない方がいい。
でも、それは昔の話で、現在のインドネシアでは日本はとても人気がある。
日本とインドネシアの関係①歴史教科書からみた日本「解放と独立」
コメントを残す