1973年に、女子高生が冗談を言ったことから、信用金庫が倒産の危機を迎える騒動に発展した。
何かひとつのことが起こると、裏でいろんなことがつながって、思いがけないところにも影響が出る。歴史でも、そんな「風が吹けば桶屋が儲かる」的なことはある。
たとえば、江戸時代に天明大噴火が発生し、それがフランス革命が起こる原因のひとつになった。
日本にかかわることで、そんなことが起きた事例はほかにもある。
第一次世界大戦は約900万人の戦死者と2000万人以上の負傷者を出し、「グレート・ウォー(大戦争)」と呼ばれた。それまでの戦争と比べ、犠牲者の数がとんでもなく増えた要因には、戦車、機関銃(軽機関銃)、毒ガス、潜水艦といった新兵器が登場したことがある。
この世界的な惨事が起きた原因は、1914年にオーストリアの皇太子夫妻が暗殺されたこと。このサラエボ事件で、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して戦争が始まった。
これが世界的な大戦争に発展した間接的な原因に、当時のヨーロッパ大陸にあった激しい対立がある。
ドイツ・オーストリア・イタリアはそれぞれの利益から「三国同盟」、イギリス・フランス・ロシアは同じ理由で「三国協商」を結成し、にらみ合っていた。その関係でドイツはオーストリア、ロシアはセルビアに味方して参戦したことで、各国とその植民地を巻き込む世界大戦へ発展した。
日本は日英同盟を結んでいたことで、連合国の一員として参加し、中国の青島にいたドイツ軍と交戦した。その結果、日本にバウムクーヘンが伝わった。
これも「風が吹けば桶屋が儲かる」の一例だ。
戦いは4年以上も続き、最終的には1918年11月にドイツが降伏して終了する。
この第一次世界大戦が起きた原因のひとつに、日露戦争であった日本海海戦があるという説をご存じだろうか。
1904年のきょう10月15日、ロシア軍が誇るバルチック艦隊がリバウ軍港を出航した。
この艦隊が翌1905年に日本海軍と戦い、世界史に残る大惨敗をすることになる。ロシアはこの日本海海戦の敗北によって、もはや日本に勝つことは不可能と判断し、日露戦争に負けた。
つまり、ロシア海軍にとって10月15日は「終わりの始まり」だ。
ちなみに、バルチック艦隊は出港してすぐに、イギリスの漁船を日本軍の艦船と誤解し、攻撃を仕掛けて乗組員を殺害してしまう。このドッガーバンク事件で、国王エドワード7世が「最も卑怯な暴行事件である」と述べるなど、イギリス国民は激怒し、ロシアへの憎悪を高め、日本を支援する雰囲気が盛り上がった。
実際、この後イギリスはバルチック艦隊が植民地へ入港することや燃料の供給を拒否し、艦隊を地味に疲れさせ、これが日本の勝利につながった。
日本海海戦で指揮をとった東郷平八郎
ただ、バルチック艦隊との戦いの直前、「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」と士気を高めたのは秋山真之だ。
1905年5月27日の早朝、日本軍は対馬沖でバルチック艦隊を発見すると、「連合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ擊滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪髙シ」と東京の大本営に打電し、これを迎え撃った。結果、バルチック艦隊は戦艦6隻を含む21隻が沈没するなど壊滅的ダメージを受け、日本軍は軽微な損害で済んだ。
この日本海海戦は人類史レベルで日本の一方的な勝利に終わり、欧米列強を驚愕させる。
これが決定打となってロシアは戦いに敗れ、帝国の威信は大きく傷つき、ロマノフ王朝の権威も失墜した。ロシア帝国の国力がガタ落ちになったことで、ヨーロッパのパワーバランスが不安定になる。
あるアメリカの歴史家はこれによって、ドイツやオーストリアなどの中央同盟国が1914年に、戦争に踏み切る決断の一因になったと論じた。
*海外で日本海海戦は「バトル・オブ・ツシマ」と呼ばれている。
because Russia’s loss destabilized the balance of power in Europe, it emboldened the Central Powers and contributed to their decision to go to war in 1914.
もし、日本海海戦でロシアが勝っていたら、日露戦争の勝者はきっとロシアだった。ロシアが国力を維持していたら、ヨーロッパのパワーバランスは崩れなかっただろうし、その状態なら、第一次世界大戦が起きなかった可能性は十分ある。
日本海海戦での日本の勝利は、間接的に大戦が起きた原因のひとつになったのだ。
戦争を始める“勇気” アメリカが第一次世界大戦に参戦した理由
> 日本海海戦での日本の勝利は、間接的に大戦が起きた原因のひとつになったのだ。
もちろん、それもあります。
が、日本海海戦および日露戦争での日本の勝利は、20世紀における「アジア諸国の一つである日本が、欧米に対して一撃を加えられることを世界に示した」ことが偉大な業績であったと思います。
日清・日露戦争における日本の勝利がもしなかったら、現代社会は果たしてどうなっていたことか。もしかすると、アジア・アフリカ諸国は、国連内でもずっと「二等国」扱いであったかもしれない。周辺東アジア諸国からは極めて評判が悪い日本帝国軍ですが、私個人としては、欧米諸国を敵に回してプロテストしてくれたご先祖様(肉親を含む)に、感謝の言葉しかありません。