現代のオーストラリアは平安時代の日本と同じで、死刑制度がない。その代わりに(?)、銃や刃物で武装した凶悪犯には手加減しない。
ことしの3月、ゴールドコーストで銃を持って盗難車に乗っていた男が警察官に射殺された。4月にも、シドニーのショッピングセンターで男が刃物で買い物客を襲う事件が発生すると、駆けつけた警官によって射殺された。
オーストラリア社会には自由で開放的な雰囲気があるけれど、一線を越えると、日本にはないような厳しさを突きつけられる。
さて、知り合いに、日本が大好きなオーストラリア人女性のエミリーがいる。彼女は日本の大学に留学し、日本で生活してみた結果、かなり気に入ったので、そのまま日本で就職して働くことにした。しかし、6年ほど働いてから、やっぱり母国に戻ることにして、今はシドニーに住んでいる。
そんな彼女と話をしたので、オーストラリアの基本情報を確認した後で、会話の内容を紹介しよう。
オーストラリアは日本の約20倍の面積、アラスカを除くアメリカとほぼ同じ広大な国で、ヨーロッパ系を中心に、中東系、アジア系、先住民などさまざま種類の人たちが住んでいる。しかし、人口は約2800万人(2024年)と日本の4分の1以下しかいない。
*ソース:オーストラリア連邦(Commonwealth of Australia)基礎データ
全体的に見て日本とオーストラリアでは、国のサイズや、社会を構成する人びとの多様性に大きな違いがある。
ーー久しぶり。元気だった?
おざなりの挨拶ね、まあ私はすこぶる元気よ。
ーーあ、ああそれはよかった。
ところでエミリーは日本にいたとき、「この国はユニークで、私は大好き。治安が良くて清潔なのも、女性が生活するうえでポイントが高い」って絶賛してたよね。なのに、オーストラリアに帰ることにした理由はなに?
そうね、今となっては「そんなふうに考えていた時期が私にもありました」って感じだけど。でも、日本に絶望して出て行ったわけではなくて、今でも日本は好きだし、旅行に行きたいとも思ってるわ。
ーーそれでも日本を離れようと思ったわけは?
日本の生活に退屈するようになったから。言い換えると、自分の人生にあせりを感じたからで、理由としてはこっちのほうが大きいかしらね。
日本に来たころは何でも新鮮だったのよ。祭りを見るだけでも楽しかったし、住民として祭りに参加できたのも面白い体験だった。
初めて温泉に入った時はすごくドキドキしたけれど、本当にリラックスできて気に入った。それに、それぞれの温泉地に独特の雰囲気があって、そこに行く計画を立てているときもワクワクした。
一つのことを知ると世界が広がって、それを探索するのは楽しかったわね。
ーーでも、経験が増えるたびに魅力が減っていって、退屈することが増えてきた。
先回りして結論を言うのはやめてもらえる? おいしいとこ取り男は人類の敵よ。
ーーえ、そんな大ごと?
でも、そのとおり。日本で生活をしていて、刺激がなくなったの。電車が1分単位で正確に運行されることには何も感じなくなって、5分遅れて待たされると、ちょっとイラッとした自分に気づいて、「すっかり日本に馴染んでるんだな」って思ったくらい。
そういう社会のシステムはいいとして、問題なのは日本が小さな国で、オーストラリアに比べて多様性が欠けるってことよ。
ーー「同じ島国でも」って言おうとしたけど、オーストラリアは海に囲まれた国でも島国じゃなくて、大陸国家だったか。面積は日本の20倍だからスケールが違う。グレートバリアリーフや広大な砂漠、数メートルの巨大なワニやヘビが住むジャングルもある。
いや、そうじゃなくて。先回りして結論を間違えるというのは、おいしいところを取られることよりもイラッとするわね。
私が言いたい多様性の欠如というのは自然よりも人。オーストラリアは移民大国で、いろんな種類の人々が住んでいるのは知ってるでしょ?
少し歴史のレッスンをすると、ずっと昔からここにはアボリジニが住んでいて、17世紀にヨーロッパ人が“発見”しちゃった後、18世紀にはイギリスの流刑地になった。その後、独立して、世界中から移民を受け入れて現在のオーストラリアがある。
ーーその辺の歴史は日本と真逆だね。日本は鎖国していて、外部の人の流入はほとんどなかったし、今でも人口の97%以上を日本人が占めている。
前に東京で会ったオーストラリア人から、日本の印象についてこんなことを聞いた。オーストラリアの都市では、歩いている人たちの髪・肌・目の色がバラバラで、彼はそれに慣れていたから、日本に来て、同じ外見の人たちが歩いているとすごく違和感を感じるんだって。
そこなのよ。日本には日本人ばかりいて、出会う日本人も「海外に興味がある日本人」で、ほぼ同じタイプ。もちろん、一人一人キャラは違うけれど、日本で出会った外国人ほど、話をしていて刺激を受けることがなかった。アメリカ人、インド人、フィリピン人、ブラジル人と話していると、いろんな発見があって、日本語で言う「目からウロコ」ってやつをするから新鮮だった。日本人と話していると、返ってくる言葉や話の展開がだいたい予想できるようになって、意外性を感じられなくなったの。
ーーもうドキドキやワクワクが無くなってしまったと。
もちろんゼロではなくて、セントヘレナ島に流されたナポレオンよりは退屈していなかったと思う。
ーーそれは人生に絶望するレベル!
生活自体は楽しかったけど、だからこそ、この状態はヤバいって思ったの。
電車に乗っていろんな駅に停まるけど、どれも似ているから、それ以上進みたいと思う気持ちが無くなった、みたいな感じかしらね。「日本」という電車は時間通りに動くし、車内はきれいで快適だけど、そこで過ごしていると新しい価値観や考え方を手に入れることができないと感じるようになった。
20代後半はまだ柔軟で、自分の世界を広げる最後のチャンスだから、もっとたくさんの刺激を受けないと、自分のキャリアで大きな損失をしてしまう。オーストラリアはびっくり箱みたいな国で、いろんな人がいて環境も恵まれているから、日本にいることに焦りを感じるようになったの。
ーー知り合いのアメリカ人は、日本に10年以上住んでいて、日本語はペラペラだけど、今でも日本に興味が尽きないと言っていた。
そういう人もいるし、そうハマらない人もいる。私が茶道を習っていたとき、先生は「茶道を知れば知るほど世界が広がる」と話していたけど、私はそこまで深く追求したいと思う気持ちはわかなかった。日本についても、感動や興奮がなくなるくらい色々な経験をしたから、思ったのよ。そろそろお別れの時かなと。
ーー「見るべきものはすべて見た」みたいな感じか。
誰よそれ?
ーー平安時代の武将で、平知盛(たいらのとももり)という人。源氏との最終決戦に負けた後、そう言い残して海に飛び込んで自決した。
そう言われて喜ぶ女性がこの世に存在すると思う? 日本は多様性に欠けているけれど、あなたは人として大事なことが欠けているんじゃないの?
でも、日本の歴史は興味深いわね。私が日本で知りたいことはネットで調べられるから、その意味でも、日本にいる理由がなくなったとも言える。
ーー話を聞くと、日本に長く住んでいて、日本に残る理由がどんどんなくなっていった感じか。日本が嫌いになったってわけじゃなくてよかったよ。帰国の選択が正しかったことを祈っている。
ありがとさん。

コメント
コメント一覧 (2件)
もう20数年以上前のことになりますが、それと全く逆の話を、カナダから日本(東京)へやって来た若い男性から聞いたことがあります。「母国のカナダは治安もよく健全で暮らしやすい、だけど自分には刺激が無さすぎるんだ。だから僕は東京へ来た」と。生まれて初めての北米での長期滞在に備えて英会話学校で勉強させられていた私に、英会話の教師だった彼はそう言ったのです。
確かに、当時のアメリカの大都市に比べて、カナダの都会は「都会だけれどもゴミ一つ落ちてなく清潔で安全な市街」が多かったように思います。その一方、当時の日本(東京)はどうだったかと言うと、バブル経済による無茶苦茶・ヤケクソな成長(?)が進行真っただ中の時代でした。街中には「ワンレン、ボディコン、ハイヒール」の女の子たちが闊歩していた。
結局のところ、世の中が完成に近づいて社会システムが安定すると、その状態に不満を抱く若い人々が必ず現れる、そういうことなんでしょうか。今の若い日本人もそうなのかな?
「鉄は熱いうちに打て」で自分を伸ばすには、いろんな価値観と触れ合ったほうがいいというのは分かります。
このオーストラリア人も東京や大阪にいたら、違った感想を持ったかもしれません。