1914年の6月、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位後継者であるフランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーがサラエボを訪れたとき、セルビア人の青年プリンツィプに銃撃された。フェルディナント大公は、目を閉じてぐったりした妻に向かって必死に呼びかけた。
「ゾフィー、ゾフィー! 死んではいけない。子どもたちのために生きてくれ」
しかし、その願いもむなしく、妻ゾフィーは息を引き取る。そして、この言葉を最後に、フェルディナント大公も死亡した。
このサラエボ事件がきっかけとなり、ドイツ、ロシア、フランス、イギリスを巻き込んで第一次世界大戦が始まった。
この後に起こる悲劇を知らず、車に乗り込む大公夫妻
第一次世界大戦(1914〜1918年)はヨーロッパの戦争で、遠く離れた日本には「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」と言われても、直接的には関係なかった。それでも、日本が参戦した理由は、イギリスから何度もお願いされたからだ。少しでも勝利の確率を高めたかったイギリスとしては、日本軍の支援がどうしても必要だった。
日本は1902年に日英同盟を結んでいたこともあり、政府内では賛否が分かれたが、結局はイギリスの訴えを受け入れ、連合国の一員としてドイツやオーストリアと戦うことを決めた。
当時、ドイツは「無制限潜水艦作戦」を宣言し、地中海を航行する船に対し、事前警告なしでいきなり攻撃していた。避難する時間が与えられないため、乗組員にとっては地中海は「恐怖の海」となる。
イギリス軍はドイツ軍のUボート(潜水艦)艦隊によって輸送船が攻撃され、大きな被害を受けていたため、日本に輸送船の護衛を依頼する。そこで、日本海軍は「榊(さかき)」や「松」、「杉」などの駆逐艦を地中海へ派遣。これらの駆逐艦もドイツの「無制限潜水艦作戦」の攻撃対象となるため、これはとても危険な任務だった。
神社へ行くとよく榊(サカキ)がある。
これは神と人との境(さかい)を示す木であることから、こう呼ばれるようになったとか。
トランシルヴァニア
1917年の5月、イギリス軍の部隊や装備を乗せた輸送船「トランシルヴァニア」がフランスの港から出発し、エジプトへ向かって地中海を進んでいると、ジェノバ湾沖でドイツ潜水艦の攻撃を受け、魚雷が命中し、船が沈み始めた。
この時、護衛を任されていた日本軍の駆逐艦「榊」と「松」は、トランシルヴァニアの救助活動をおこない、約3000人を救ったと英語版ウィキペディアに紹介されている。
Sakaki and Matsu took part in the rescue of the passengers of British transport SS Transylvania, which was sinking after being torpedoed off the Gulf of Genoa, almost 3,000 people were saved.
ヨーロッパへ派遣された日本軍の駆逐艦
「救出活動をした」と言うのは簡単だが、これは並大抵のことではなかった。というのも、イギリス海軍では以前、同じような状況で大惨事が起こっていたからだ。味方の艦船がドイツ軍の攻撃を受け、2隻が近づいて乗組員を助けようとしたところ、さらに攻撃を受けて3隻とも撃沈され、6000人が死亡した。
この“二次被害”を避けるため、イギリス軍は友軍が魚雷攻撃を受けても、救助を行うことを一切禁止していたのだ。
それでも、日本軍の「榊」と「松」の乗組員は命がけで救出活動を行ったため、イギリス兵は感謝し、海軍大臣のウィンストン・チャーチルは榊と松に感謝の電報を送った。さらに、両艦の艦長は国王ジョージ5世から勲章を授与された。(第二特務艦隊)
2017年に安倍首相がそこを訪れ、献花して黙祷をささげた。
一般の日本人がマルタへ行くのはハードルが高い。だから、もし神社で榊を見かけたら、ヨーロッパで同盟国のために戦い、感謝された人たちのこと、時々でいいから思い出してください。
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