【朝鮮出兵】日本軍に、わずか20日で首都を制圧された3つの理由

豊臣秀吉は1590年に天下統一を成しとげた。歴史の授業でこの年を「戦国終わらせる」(1000+59+O(お)わらせる)と覚えた人もいるかもしれない。
その後、秀吉は朝鮮を手に入れようと考え、各地の大名に命じて軍を朝鮮に送った。天下統一の2年後、1592年4月12日、日本軍の一部隊が釜山に上陸すると、「その後は向かうところ敵なし」の無双状態となる。
日本軍は立ちふさがる朝鮮軍を次々と倒しながら北へ進み、5月2日(または3日)には首都・漢城(現在のソウル)を制圧してしまった。

日本軍が近づくと朝鮮政府は恐怖につつまれ、都を一時的に移そうという案が出ると、大臣たちが号泣するなど、完全にパニック状態となった。日本軍を止めることができず、明日にでも首都にやって来るというウワサが流れると、国王や側近たちは明(中国)に助けを求めることを決め、首都を捨てて北部へ逃げ出した。

 

昔、ソウルにある朝鮮時代の王宮・景福宮に行ったとき、日本語ガイドから「400年前、日本軍は景福宮の貴重品を奪い、建物に火をつけたんです」という話を聞いた。
でも、それは別の世界線で起きた朝鮮出兵のことで、実際にそれをやったのは、日本軍ではなく朝鮮の民衆だった。彼らは金品を奪い、主(あるじ)のいなくなった景福宮や昌慶宮、昌徳宮に火をつけた。
日本軍が到着したとき、3つの王宮はすでに焼け落ちていた。(文禄の役

 

首都から逃亡する国王ら一行

 

なんで日本軍はたった20日で首都を落とすことができたのか?
これからその理由を3つ指摘しよう。

・判断ミスと内部分裂

豊臣秀吉が天下統一した1590年に、朝鮮通信使が来日し、秀吉に「あいさつ」をしている。
当時の朝鮮政府は、西人派と東人派という2つのグループが激しく対立していた。
通信使ら一行が朝鮮へ帰国すると、西人派の黄允吉は「日本はきっと我が国を攻めてくる」と報告したが、東人派の金誠一(きん せいいち)は「それはない。そんな大げさな話をするべきではない」と全く反対の意見を述べた。これで、西人派と東人派のあいだで言い争いになり「日本は攻めてこない」という東人派の意見が政府の方針となる。
しかしその後すぐに、日本軍が実際に釜山に上陸したのは先述したとおり。
東人派は政敵を追い落とすことには成功したが、国は守れなかった。
政治争いに夢中になって国家を危機に陥らせる――そんなことは現代の韓国にもあるように思える。
この判断ミスによって、朝鮮は防衛の準備を整えてなく、日本軍の進撃をゆるしてしまった。

 

・冊封体制

当時の東アジアで、最強と思われた国は中国(明)だった。朝鮮国王は明の皇帝を「主君」、自身を「臣下」と認めていた。中国を宗主国、自国をその属国(朝貢国)とする国際関係を「冊封(さくほう)体制」という。
「中国の下」にいる状態は、独立国としては屈辱的だったが、敵に攻め込まれた場合、ラスボスである中国が守ってくれるという大きなメリットがあった。
実際、朝鮮が日本軍に攻められたとき、明に助けを求めると援軍が送られ、日本軍と戦ってくれた。その結果、日本軍は撤退し、朝鮮王朝は滅亡をまぬがれた。
朝鮮政府は自分で自分を守ろうとする意志が弱く、明にまかせっきりだったため、防衛力を強化する努力をあまりしていなかった。
自国の安全保障を他国に依存してはいけない。

 

・圧倒的な武器の差

戦国時代の終わりごろ、日本にはヨーロッパから鉄砲が伝わり、織田信長はこの新しい武器を使って強敵を撃破していく。その後、日本では鉄砲があたりまえの武器となり、使い方や戦い方も進化していった。
ところが、当時の朝鮮人の常識からすると、鉄砲の性能と威力は信じられないレベルにあり、「神器」と呼ぶほどだった。
韓国の新聞「中央日報」のコラム(2021年6月4日)では、こう書かれている。
*鳥銃は鉄砲、壬辰倭乱は朝鮮出兵のこと。

鳥銃の優れた威力を目撃すると、壬辰倭乱以降、朝鮮では鳥銃を神器と呼んだりもした。(中略)武器が貧弱で自らを守ることができず血の涙を流した

【韓日中三国志】豊臣秀吉の鳥銃に圧倒された朝鮮、武器が弱ければ血の涙流す

 

ということで、たった3週間で首都を奪われた原因には次の3つがあった。

・重大な判断ミス
・安全保障を他国に“おまかせ”していた
・圧倒的な兵器の差

もちろん、これだけが原因ではない。でも根本的には、「いざとなったら中国が助けてくれる」と朝鮮が思いこみ、危機感がなかったこと、つまり「平和ボケ」していたことが最大の要因だったと思われる。

 

 

中国人から見た日清戦争 なんで「韓国に申し訳ない」のか?

【朝鮮出兵と日本】韓国では昔からある、根拠不明の略奪説

【韓国の旅】130年前と現代の日本人が感じた“旅の情緒”

旧正月を廃止した日本、昔と今の韓国人にはこう見える

「ご飯食べた?」 今も昔も日本人が戸惑う韓国式あいさつ

日本人から見た韓国人 130年前と変わらない“辛いもの”好き

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次