ルターが宗教改革を行い、江戸幕府はキリスト教を禁止した 

12月11日。この日を振り返ると、歴史的にはこんな出来事があった。

日本では、1637年に島原・天草一揆(島原の乱)が起きた。
ヨーロッパでは1983年に、 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がローマのルター派教会を訪れ、新旧キリスト教の対立が「終結」した。

この2つに共通するワードは「キリスト教」だ。島原・天草一揆では、百姓やキリスト教徒が主体となって江戸幕府に対して武装蜂起した。
もう一つの共通ワードは「ルター」で、このドイツ人もこの2つの出来事に、すごくうっすら関係している。
ということで今回のテーマは、日本と西洋の歴史や価値観の違いについてだ。

目次

西洋で宗教改革がはじまる

ローマ教皇がローマ・ルター派の教会を訪問したという歴史的な意義を知るには、16世紀にタイムスリップする必要がある。
そのころカトリック教会は、「人が罪を犯しても、贖宥状(しょくゆうじょう)があれば神に罰せられない」と宣伝し、人びとの信仰を利用して贖宥状を購入させていた。
しかし、聖書にそんなことは書いていないし、このやり方は現代で言うならインチキ霊感商法に近い。

1517年、ドイツの神学者マルティン・ルターが贖宥状を否定し、カトリック教会やローマ教皇を批判した。宗教改革のはじまりだ。
ローマ教皇をトップとするカトリック教会は、自分たちこそが神(イエス・キリスト)の代理人で、地上における最高権威と考えていたから、ルターに激怒し、彼を破門した。
この時代、ローマ教皇から破門されると、法の保護を受けることができなくなるため、誰が殺害しても罪に問われることはなかった。つまり、カトリック教会が信者に対して、「殺れ」と犬笛を吹いたようなものだ。

しかし、独善的なカトリック教会を嫌う人も多かったから、ルターは彼らの保護を受けて活動し、ルター派(プロテスタント)という新しいキリスト教のグループが生まれた。
このカトリックとプロテスタントの対立はすさまじく、ヨーロッパの各地で大規模な宗教戦争が起きた。
なかでも、神聖ローマ帝国(ドイツ)、イングランド、スウェーデンなど各国が参戦しておこなわれた三十年戦争(1618年–48年)は、「人類史上最も破壊的な紛争の一つ」といわれ、ヨーロッパ世界を完全に変えてしまった。

傭兵の問題点と伝説的な人物、三十年戦争のヴァレンシュタイン

カトリックとプロテスタントの和解

キリスト教が16世紀に、カトリック(旧教)とプロテスタント(新教)に分裂してから時が流れ、戦後になってからやっと和解の動きが出てきた。

教皇ヨハネ・パウロ2世は、ルターの「深い信仰心」をもつキリスト教徒と称賛し、それまでカトリック教徒から「反逆者」として軽蔑されていたルターの見方を一変させた。
そして、1983年12月11日、ヨハネ・パウロ2世は教皇として初めてローマのルーテル(ルター派)教会を訪問し、演説し、カトリックとプロテスタントの450年以上にわたる対立を解消するよう訴えた。
日本語版ウィキペディアには、これで「新旧キリスト教の対立が終結した」と書かれているが、たぶんこれは言い過ぎ、そこまでではない。

さまざま英語のサイトを見ると、

「数世紀にわたる対立に終止符を打つという教皇の強い意思を象徴するもの」
「関係改善に向け、新たな一歩を踏み出した」
「歴史的な突破口を開いた」

といった表現が多く、これによってカトリックとプロテスタントの対立が無くなったという見方をしていない。
多神教の世界に生きている日本人からすると、450年以上も対立を続けてきたキリスト教世界の厳しい価値観にはついていけないと思う。

日本人の宗教的な寛容

島原・天草一揆のあと、幕府はこの乱に参加していた農民がキリスト教の信者だったことに大きな衝撃を受け、治安と秩序の維持を目的にキリスト教を徹底的に排除することにした。
第五次鎖国令を出してキリスト教を禁止し、ポルトガル人を追放すると、1641年にはオランダ商館を出島に移転し、「鎖国体制」を完成させた。
ヨーロッパ人の動きを管理下におくことで、キリシタンの広まりを防いだ。

幕府がキリスト教を禁止したことには、じつはルターが関係している。
ルターの活動から宗教改革がはじまり、ヨーロッパでプロテスタント勢力が拡大したことで、カトリックは海外で布教し信者を獲得しようとした。
ローマ・カトリック教会は日本で熱心にそれをしようとしたが、そのために豊臣秀吉や徳川幕府に嫌われ、結局は「バン」された。

日本人の伝統的な信仰の特徴は、異なる宗教を同時に認める寛容さにある。だから、一神教の厳格さや非寛容、独善性は受け入れられなかったのだ。
宗教の平和共存や融和という意味では、西洋世界は日本に近づきつつある。

 

 

キリスト教 「目次」

【レストランの始まり】フランス革命が外食文化を生んだワケ

【キリスト教の文化】ペイガニズムを乗っ取った結果ですか?

【キリスト教文化】欧米の魔除けとラッキーアイテム・馬の蹄鉄

【日本人と西洋人の発想】アマビエとキリスト教の守護聖人

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメントする

目次