数年前、静岡の大学で学んでいたナイジェリア人の留学生から、
「俺の寮の近くにある家の庭にオレンジが落ちているんだが、あれは拾っていいのか?」
と聞かれて驚いた。
ナイジェリア人的には、それは価値や需要がない証拠だから、他人が拾って食べてもいいらしい。でも日本では、最低限、家主の許可が必要だし、黙って庭に入ったら不法侵入で捕まるかもしれない。
さて、今の時期、柿の木にひとつだけ柿が残されているのを見かけることがある。それはきっと「木守」だ。これから、この風習に込められた意味と外国人の感想を見ていこう。

日本人らしい「心」とは?
外国人から見て、日本人の「らしさ」とは謙虚さと感謝だ。
たとえば、誰かに挨拶をするとき、海外では握手やハグなど身体的な接触が多いけれど、日本人は距離をとってお辞儀をする。気持ちの大きさによって、頭を下げる角度を変える日本人は、よく外国人の「ネタ」にされる。
そして、食事をする前には手を合わせて「いただきます」と言う。この動作には、食材となった命、それを育んだ自然、目の前の食事を作ってくれた人、目に見えないすべてのものに対する感謝と畏敬の念が込められている。
木守(木守柿)という風習
晩秋から冬になると、柿の木にひとつだけ柿が残っている光景を見かけることがある。これは木守(木守柿)という風習で、「自分はいろいろなものに生かされている」という日本人らしい感謝の気持ちや謙虚さが表れているのだ。
この言葉の起源は、庭園に実った果樹を守るための番人「木守(こもり)」で、それがひとつだけ取り残された柿を指すようになったのだろう。
木守の風習には、「今年の収穫を自然や神に感謝する」「来年の豊作を願う」「柿を鳥などに“おすそ分け”する」といった意味がある。
豊かに実った柿をすべて食べることなく、ひとつだけ残しておく行為からは、日本人の自然に対する深い感謝の気持ちが見てとれる。また、寒い時期に鳥たちに食べ物をあげようとする思いやりも伝わってくる。
分かち合いの姿勢には、自然や生き物との「共生」の価値観も反映されている。
個人的には、厳しい自然の中で枝に丸い柿がひとつだけ残っている様子は、「わび・さび」の情感を感じさせ、日本人の精神を表しているようにも見える。
外国人は「木守」をどう思う?
この「木守」という日本の文化について、外国人に聞いたところ、
「That’s interesting and thoughtful.」
(それは興味深く、思慮深いですね)
といった好意的な反応が返ってきた。以下、英語を日本語に訳して外国人の感想を紹介しよう。
・「木守」は本当に謙虚な思想ですね 🌹🌹🌹
・先日、福岡へ行ったときにそれを見た。そんな意味があったんだね。
・わたしはこのような考え方が大好きです。外で果実などを得るときはいつも自然に感謝しますし、動物たちのために一部を残すこともあります。自然を尊重する日本の精神に敬意を表します。
・カラスのためかと思ってた😅
・父も果実を摘むときは、いつもひとつだけ残していました。彼は木に感謝するためだと言っていました。
・残念ながら、鳥たちは私たちより早く柿を味わってしまいました。でも、この風習はとても素敵なので、来年はひとつ残しておこうと思います。
インドのラジャスタン州では、何かを採る前に必ず植物に許可を求め、それを得たら感謝の気持ちを込めて収穫していました。そして、必ず鳥たちのために果実を残していたそうです。わたしはそれを思い出しました。
鳥たちがあの果実を食べるとき、他の木が育つためのタネをまいていると思います。木にひとつだけ果実を残す理由に、新しい項目が加わるかもしれませんね🙏

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