「カンボジア人の時間感覚はめちゃユルイ」
前回、そんなことを書いた。
「朝8時にエクスプレス(バス)が来るぞ。フロントで待ってろ!」
→エクスプレスが来たのは8時40分。
「8時に出発するぞ!」
→出発したのは9時20分。
「エクスプレスなら、午後1時にプノンペンに着くな」
→プノンペンについたのは午後4時30分。
みごとな時間のルーズっぷり。
8時の約束が9時になる。
1時と言っていたのが4時30分にのびる。
ボクがカンボジアを旅行したときは、こんなのあたり前のようにあった。
カンボジア人から聞いていた時間が、1時間2時間とのびてしまう。
まるでゴムのように。
でもこれはカンボジアだけではない。
ミャンマーやタイなど東南アジアのあっちこっちの国でも、こん感じのルーズな時間感覚だった。
インドネシア語に、そんなゆる~い時間感覚をあらわす言葉がある。
それが「ジャンカレット」という言葉。
まえに東南アジアのいいかげんな時間感覚のことを書いたから、ついでにこのジャンカレットも紹介したい。
タイのカンチャナブリ
「約束の時間とちがうじゃないかああああ!」
東南アジアを旅行していたときに、心の中でこんなことをよくさけんでいた。
インドネシアはとくに時間にゆるい国らしく、「ジャムカレット(ゴムの時間)」という言葉があると聞いた。
「ジャム(時間)」+「カレット(ゴム)」=「ジャムカレット(ゴムの時間)」
ということでできたインドネシア語。
インドネシアでは、予定の時間が1時間2時間とズルズルとのびることがあたり前のようにある。
時間がゴムのようにのびることから、「ジャムカレット(ゴムの時間)」という言葉ができたという。
このことを友人のインドネシア人から聞いたときは、「なるほど!」と感心した。
でもこれはインドネシアだけじゃない。
東南アジアの国では、時間がゴムのようによくのびる。
「1時には着くさ!ノープロブレム」が、2時になったり3時になったりと、ゴムのようにビヨンビヨンのびてしまう。
駅でお祈りをしているインドネシアのイスラーム教徒たち
「ジャムカレット(ゴムの時間)」の例として、こんな話がある。
日本経済新聞社の記者でジャカルタの支局長をつとめていた日本人が、ジャカルタでの体験記を書いている。
そのなかでジャムカレットのことがでていた。
あるとき、インドネシア政府の情報省から緊急連絡がはいった。
「経済政策で緊急重大発表があるから、午後4時に集まってほしい」という。
でも指定された場所に行って待っていたけれど、4時になってもなにも始まらない。
そのときは、こんな時間のルーズぶりだったという。
ところがである。定刻の午後4時になっても政府要人は誰も顔を見せない。係官の説明も要領を得ない。
「30分遅れは毎度の話」と時間のルーズさに慣れている外国人記者たちもさすがに一時間二時間とたつうちにイライラが募ってきた。赤道に近いインドネシアは昼夜の時間が一年中ほぼ同じだ。それで時間まで覚えているのだが、ようやく官僚が姿を現したのは午後七時をゆうに回っていた。窓の外はもう暗い。
「ゴム時間共和国インドネシア (日本経済新聞社) 小牧利寿」
インドネシア政府が外国人記者を集めておこなった会見でも3時間遅れる。
しかも、遅れている説明もあいまいでよくわからない。
これが「ジャムカレット(ゴムの時間)」の例だという。
また、プライベートではこんなこともあったと書いている。
この日本人が自宅でパーティーを開いたとき、開始時刻の午後6時30分になってもだれも来ない。
「あれ?日にちをまちがったかな?」
と、その日本人が不安に思い始めたころに人が来はじめる。
午後9時にゆうゆうと来たインドネシア人もいたという。
でもジャムカレットの国だから、しかたがない。
この本のタイトルに「ゴム時間共和国インドネシア」とつけたぐらいなんだから、日本人からしたら、この「ジャムカレット(ゴムの時間)」がとても印象に残ったんだろう。
ボクが東南アジアの国を旅行したときにも、こんなジャムカレットをよく経験した
時間にルーズな外国からもどって来ると、日本のバスや電車の時間の正確さは芸術的で感動する。
もはや、神の領域(りょういき)にたっしている。
ネームプレートを見ると、「こういう名前の神なんだ」と思ってしまう。
東南アジアの時間感覚がゴムのようにゆるいとしたら、日本の時間厳守は鉄のようにかたい。
こちらの記事もいかがですか?
コメントを残す