最近、日本の若者は「調味料離れ」や「カップ焼きそば離れ」と、さまざまなものと距離をおいている。
その中でも「若者や子どもの野球離れ」は深刻だで、野球部員がなかなか集まらないらしい。
また、プロ野球中継も視聴率がとれなくなっている。
そのことについては関係者にまかせるとして、この記事では野球の雑学について書いていこう。

エジプトにある5000年前の遺跡の壁面に、「最近の若者は~」という言葉が象形文字で彫られていたという話もある。
野球(ベースボール)がアメリカで生まれた。
それは誰でもわかるだろうけど、野球がどうやってアメリカ全土に広がったのかを知る人は少ない。
結論からいえば、野球がアメリカ全土に普及した最大の理由は南北戦争にあった。
南北戦争(1861~65)については、歴史の授業でこんなふうに習ったはずだ。
南北戦争
南部のアメリカ連合国と北部のアメリカ合衆国との戦争。
リンカンはあくまで「連邦の維持」だったが、南軍が先端を開いて始まった。戦況は、はじめ南軍有利に進んだが、まもなく人口や経済力にまさる北軍有利に逆転した。「世界史用語集 (山川出版)」
1853年にペリーが日本にやってきて、翌年に日本を開国させた(日米和親条約)。
1858年には、アメリカの初代総領事ハリスが来日して、日米修好通商条約を結んで日米の貿易がはじまる。
しかしその後、アメリカは日本から姿を消しまう。
南北戦争がはじまったため、日本との貿易する余裕がなくなったのだ。
北軍が勝利した南北戦争では、リンカンの「人民の、人民による、人民のための政治」というゲティスバーグ演説が有名だ。
アメリカ全土に野球の人気が広がったのは、この戦争の副産物と言うことができる。
ノンフィクション作家の佐山和夫氏がこう書いている。
それまでは東部の一部でのみ人気のあった一スポーツが、急にアメリカ全土でプレーされるようになった第一の理由が、この戦争にあった。
「野球とアンパン 佐山和夫(講談社現代新書)」
南北戦争の期間は、1861年から65年の約5年間。
でも、その間休みなく戦闘がおこなわれていたわけではない。
戦闘がなくてヒマな時間も多かったのだ。
そんな時に野球を知っていたアメリカ人が仲間の兵士にやり方を教えて、時間がある時に野球を楽しんでいた。
軍の上層部としても、戦闘がない時に兵士たちが体を動かして体力をつけるということは都合がいい。
野球を禁止するどころか、「大いにやりなさい」と奨励していた。
それで、アメリカ軍の中で野球が人気になる。
戦争中に兵士が野球で遊んでいるというのも変な気はする。
でも、もっと意外なことに、敵としてたたかっていた北軍と南軍の兵士が野球の試合をおこっていた。
しかもそれは一度だけではない。
何回も試合をおこなって、シリーズになっていたという。
南北戦争で野球の楽しさを知った兵士たちが戦後、故郷に戻って野球を広めた。
それで、全米で野球が人気になっていったという。
ここでは戦争の残酷さについては書かない。
そんなことは、だれもが学校で習って常識として知っているから。
軍隊にはこうした一面がある。
いろいろな地方の人間が集まって、集団で長い間いっしょに生活する。
そこでいろいろなことを知る。
そして戦争が終わって、故郷に戻ったときに戦争で知ったことを地元の人に伝える。
それでそれが地方にも伝わっていく。
たとえば、日本語の標準語もそう。
軍隊にいる兵士がそれぞれの出身地の言葉を使っていたら、混乱してしまう。
それで明治の日本では、軍隊の中で兵士が使う言葉を統一した。
それが標準語として日本に広がっていったのだ。
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