これからの日本の英語教育で重視されることは、「話す力」を育てること。
そんなことが見えてくるような動きが東京であった。
いつからかは未定だけど、東京の都立高校を受験する中学生は、英語のスピーキングの試験を受けないといけなくなる。
東京都の教育委員会がその方針を固めたことが、毎日新聞の記事(2017年12月14)に書いてある。
都教委は英語の試験に占めるスピーキングテストの配点、受験料などを今後詰める。
「都立高入試 話す英語 検定団体協力」
ということは、今まで「英語を話す力」は軽視されていたとも言える。
学習指導要領では英語について、「聞く・読む・話す・書く」の4つの技能の基礎を身につけるように書いてある。
でも、今までの都立高校の入試では、「話す」は評価されていなかった。
そのため都内の中学校では、話す力の指導がおろそかになっていると指摘されていた。
入試でスピーキングの試験があれば、中学校もそのための指導をしなければいけなくなる。
「日本人は英語が話せない。これからは英会話の指導が大事だ」なんてことは、これまでに何回も何回も言われていた。
でも実際には、あまりその指導はおこなわれてこなかった。
それで今回、スピーキングが入試に組みこんだのだろう。
これぐらいしないと、日本の学校は動かないかもしれない。
「これは入試には関係ない」と分かっていたら、教師も生徒もそれを軽視してしまう。
大阪府では、英検やTOEFLなどの試験結果を、高校入試の点数に置きかえることが認められている。
実質的に、「英語を話す力」が入試で評価されている。
「これからの日本人にとって必要なのは、英語を話す力ですっ!」というのは東京だけではなくて、全国的な傾向だ。
高校入試でスピーキングの力が試されることは、これからほかのところにも広がっていくだろう。
ただネットを見ると、「それはちゃんとできるの?」といった懐疑的な見方が多い。
・そのスピーキングテストの採点ができる英語教師がいるのか?
・そもそも日本の学校の英語教師ってスピーキングできるのか?
・誰がどうやって採点するのか、興味津々だ。
・そこまでの能力を中学生に求めるなよ。
・しゃべらないけど英語を学ぶ変な国民
中には、こんなコメントもあった。
・会話のテストってどうすんの?
「Would you help me?」って聞かれたら
「Sure」
「Sure I’ll help you」
「OK! OK! No ploblem hahaha~」
という答え方によって点数変わってくるの?
英語の「聞く・読む・話す・書く」の4つの中で、日本人は「話す」ということがすごく苦手。
これはずっと前から言われている。
英会話教材は次から次へと新しいものが出るけど、「日本人の英会話能力が向上した!」という話は聞いた記憶がない。
今の日本の高校入試では、英語を「話す」力は無視され、「聞く・読む・書く」という能力が評価されている。
大学入試でも、これは大きく変わらない。
だから日本人は英語を話せないけど、書くことはけっこうできたりする。
海外旅行をしていて、日本人のそんな英語力に驚いたという外国人に会ったことがある。
インドを旅行中、宿泊していたホテルのフロントで働いていてインド人もその一人。
彼は毎日、客と英語でやり取りをしている。
でも日本人客の場合、英語の文がなかなか出てこなかったり、発音が聞きづらかったりすることが多い。
そんなときに彼は、「ここに書いてくれ」とメモを渡している。
英文を話せなくても、書くことならできる日本人は多くて、その方が彼にとってコミュニケーションが楽になるらしい。
「たしかに、それはあるかもしれない」
話を聞いていて、そう思った。
インド人を前にして、「明日の朝8時までに、空港に行かないといけない。だから、このホテルでタクシーを用意してほしい」という英文を口で言うより、紙に書いたほうが楽だし早い日本人はいると思う。
でもそのインド人には、「日本人は英語を話せないけど書ける」ということが驚きだったという。
言語の習得でいえば、「書く」は「話す」よりも高度だ。
エジプト人のホテル・スタッフも同じようなことを言っていた。
「時どき宿泊客に、このホテルを紹介する文章を書いてもらっているんだ。このホテルの感想や良かったことなんかを。日本人は英語で話すことができないのに、英語の文は書けるんだ。それには驚いたよ。なんで日本人は、英語を書けるのに話せないんだ?オレとは逆だ。オレは英語を話せるけど、書けない単語がたくさんある」
結局それは、受験で必要な英語と商売で必要な英語のちがいだ。
それと国民性もちがう。
日本人はシャイだけど、インド人やエジプト人は超スーパーフレンドリー。
というか、なれなれしくてずうずうしい。
これから日本の英語教育で、「話す」の指導に力を入れていったら、こうした日本人は過去の日本人になっていくはず。
そうなっていくはずなんだけど、10年20年後の日本人もあまり変わっていない気がする。
でも、英語が話せないけど書けるということは、日本人は英語ができないのではなくて苦手意識が強いということだろう。
おまけ
日本人だってやればできる。
中には、「英語の勉強ばかりしていて、日本語の文章が読めなくなってしまった」という日本人もいる。
明治時代にそんな日本人が出てきて、福沢諭吉があきれている。
英語ばかりを勉強するから、英書は何でも読めるが日本の手紙が読めないというような少年が出来てきた。
波多野承五郎などは子供の時から英書ばかり勉強していたので、日本の手紙が読めなかった
「福翁自伝 (岩波文庫)」
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全然関係ないかもしれないけど、日本人は説明するのが下手な人多いよね
例えば国会中継を見ていると野党の質問に対して自民党は抽象的な言い回しをする
そして会社の会議でも多くの日本人社員は曖昧な言い方で話を進める
だから俺が思うに日本人が英語で議論するのも他の国に比べて下手なのは
日本語でも主張や説明が下手糞だから影響を受けているのではないかと思う
もちろん日本で英語を使う機会が少ないから喋れないのもあるけど、日本人は
昔から口よりも手を動かして、相手のことを会話で知るよりも勝手な主観で
思うように生きていたから、英語で自分や日本のことを説明できる訳がない
あとこれはアメリカ人が海外の提示版4chanで言っていたこと
「なぜ日本人は英語よりも遥かに効率が悪い3種類の文字を使う言語を選んだのだ?」
外国人からすれば漢字・ひらがな・カタカナなどの複雑な組み合わせを小さい頃から
強制的に学ばせ、世界でも通じる英語よりも時間をかけることが理解できないらしい
そして大人になった日本人の多くが習った漢字を書けず、俳句も社会では役に立たない
そう考えると中国人もテレビで言っていたが日本人は要領が悪いのかもしれない
>日本人は説明するのが下手な人多いよね
その通りだと思います。
欧米に比べれば、日本は伝統的に自分の考えを人に伝える習慣がなかったですね。
「それじゃいかん」と福沢諭吉がスピーチという英語に「演説」という日本語訳をつけて、自分の考えを他人に伝えることの重要性を訴えました。
でも、今でも日本人は「空気」で意思を伝えることが多いと思います。
1つの文章に3つの文字があることを不思議に思う外国人はいますね。
でもこれを廃止することはムリですし、それを前提に考えた方がいいですね。