西日本新聞に、こんな記事(2018年01月04日)があった。
タイ 犬には「夢の国」? 殺処分なく生涯保護 前国王の精神浸透
「タイって、犬にとって夢の国じゃね?」ということらしい。
タイの首都バンコクには、約10万匹の野良犬がいる。
市民から苦情が来たら、当局が野良犬を捕まえるけれど、日本のように犬を殺処分することはない。
避妊手術をして狂犬病のワクチンを打った後、飼い主を探す。
もし飼い主が見つからなかったら、施設で死ぬまで面倒を見るようになっている。
たしかに野良犬にとっては楽園だ。
でも、なんでタイでは犬が殺処分されないのか?
その理由は、タイが仏教国だから。
カンボジアと違ってタイでは仏教が国教にはなっていないけれど、国民の9割が仏教徒だ。
「生き物を殺してはいけません」という仏教の教えが国民に浸透した結果、タイでは殺処分を認めていないという。
日本の野良犬にしてみれば、「ちょっとタイ行ってくる」という気にもなる。
日本のネットでは、こんな反応があった。
・吉宗公が復活してしまったのか
お犬様爆誕くるで
・飼犬税の導入で対応すれば?
・街中の犬はこんなもんだが、山の中の犬は結構狂暴だよ。
群れを作って追いかけてくる。 バイクで山行った時に追い回された事がある。
・道で坊主とすれ違うとき
イカした姉ちゃんも靴を脱いで掌を合わせるんだよな
・以前タイに手術に行った時も街によく犬が寝そべってたなー
ただ、皮膚病の犬が多かったけど
・コンビニの前には大概は犬が寝そべってるよな、タイw
・バンコクに行ったことがあるけど、タイ人と匂いが違うせいか、外国人が野犬に囲まれる事は普通にあるよ。
俺も一回経験したし……催涙ガスを持ち歩いていたんで、それほど怖くはなかったが、かなり危険だから気を付けて。
コンビニの冷房で涼む犬
これを野放しにするのは、行き過ぎた慈悲のような。
タイを旅行していたとき、寺に野良犬や猫が多いことに気づいた。
その理由を知り合いのタイ人から聞いたことがある。
そのタイ人は大学生のとき、夏休みに1か月出家してお坊さんをしていた。
タイでは、夏休みの過ごし方で「出家」という選択肢がある。
とにかく彼は出家して、お寺でお坊さんをしていたわけだ。
お坊さんは朝起きたら、托鉢(たくはつ)に出かけることになっている。
托鉢とは、こうして信者から食べ物やお菓子なんかを受け取ること。
信者からすれば、これは「喜捨(きしゃ)」になる。
ラオスやミャンマーなどでも、この喜捨がおこなわれている。
お坊さんに食べ物を渡すことは、仏教的に「良いこと」になる。
より良い来世のために現世で善行をおこなうことを、タイ語で「タンブン(徳を積む)」という。
「タンブン」とは善行を積み重ねる行為のこと。
タイ人は輪廻転生を信じており、タンブンをすればするほど来世では幸せな生まれ変わりができると信じられているのだ。最大のタンブンは僧侶として出家することだが、在家信者も様々な方法で徳を積むことができる。
お坊さんにご飯やお菓子などをさし出す喜捨も、タンブンのひとつ。
知り合いのタイ人がいた寺では、托鉢でいただいた食べ物は一度集めてから、寺にいるお坊さんに分けていた。
それで、余った食べ物があった場合は、野良犬や猫にあげていたという。
犬や猫がそれを覚えてしまうから、タイのお寺にはたくさんの犬や猫がいることになる。
犬や猫に食べ物をあげることも、タンブンになるとか。
自由すぎる。
西日本新聞によると、「生き物を殺してはいけません」という仏教の教えが国民に浸透した結果、タイでは野良犬の殺処分をしていない。
これと重なるけれど、「原因と結果」という仏教の因果応報の考えもあるだろう。
犬を殺すことは、悪い行いをすることになる。
そうなるとタンブンとは逆で、自分に悪いことが起きてしまう。
知り合いのタイ人の友人が、車で野良犬をひき殺してしまったことがある。
そのタイ人は女の子で、パニックになってしまった。
そして、恐れた。
「犬を殺す」という悪行をしたら、いつかそれが自分に返ってくる。
それを恐れたタイ人は、「放生」という善行をおこなうことにした。
ほうじょう【放生】
捕らえた生き物を逃がしてやること。仏教の善行の一。
大辞林 第三版の解説
バンコクでは王宮前の広場に、鳥が入れられているかごを持っている人がいる。
言ってみたら、放生屋。
そうした人にお金を払って、鳥をかごから放して自由の身にさせる。
これの善行がタンブンになる。
犬をひき殺したタイ人はその悪行を、放生という善行で打ち消そうとした。
これが仏教観にもとづくタイ人の生活習慣や考え方になる。
仏教徒のタイ人は、自分がした善行と悪行のバランスを考えて、調節しながら生活している。
奈良の興福寺には、放生をおこなうための「放生池(猿沢池:さるさわいけ)」がある。
天平21年(749年)に造られた人工池である。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である。
「ウィキペディア」
放生の考え方は、日本とタイで共通している。
タイに行くと、路上に食べ物と飲み物が置いてあるのを見かけるかもしれない。
これは、街をうろつく”幽霊”にあげるもの。
幽霊に食べ物をあげることも、タンブンになるという。
おまけ
日本の仏教僧について知ったタイ人は、「なんで日本のお坊さんは、飲酒や肉食がOKなのか?」 という疑問をもつことが多い。
その理由も、因果応報・自業自得という仏教の考え方にもとづくものらしい。
日本や中国に伝わった大乗仏教では、僧侶は信仰心が厚いのだから、戒律は自然に守られるという考え方に立脚しています。
その結果、とくに日本では僧侶も飲酒、肉食、妻帯もよいこととされて、何か悪いことをすれば、僧侶であれ誰であれ、自業自得としてバチがあたるからそれでよいのだという考え方なのです。「仏教108の謎 (田代尚嗣)」
タイでは仏教の影響もあって、動物がけっこう自由に行動している。
それで、バンコクのような大都市でも、こんな大きなトカゲが家に入って来ることもある。
バンコクのルンピニ公園に行くと、こんなオオトカゲを見ることができる。
よかったら、こちらもどうぞ。
日本のタイ(東南アジア)の仏教の違い① 飲酒・肉食・喜捨(タンブン)
日本とタイ(東南アジア)の仏教の違い② 宗教と金儲け・タイにはない戒名
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