前回、東京新橋で起きた強制わいせつ事件のことを書いた。
31歳の男が道を歩いていた20代の女子大学生に声をかける。
そして嫌がる女子大学生を無理やり自分のマンションに連れて行き、わいせつ行為に及ぶ。
女性が男に連れて行かれる様子をたくさんの人たちが見ていたのだけど、助ける人はだれもいなかった。
それで読売新聞が「女性連れ去り、周辺に多くの人いたが誰も助けず」という記事を書く。
「日本人は思いやりがあって、とてもやさしい」と外国人から言われることがよくあるけれど、日本人には他人に冷たいところがあると思う。
ボクもふくめてだけど、面倒なことに巻き込まれそうだと思ったら、他人のことに関わろうとしない。
つまり、「義を見てせざるは勇無きなり」に欠けるのだ。
正しいことをする勇気が出なくて、つい見て見ぬふりをしてしまう。
男に無理やり連れて行かれる女性を見ても、だれも何もしない。
でも、これよりもっとずっとヒドイことがあった。
今回はそのことについて書こうと思う。
でもその前に、ケニアの話をひとつ。
前々から、アフリカのケニアを旅行してみたいと思ってた。
ケニアに行ったことはないけど、ケニアを旅したという日本人に去年会った。
「ケニアの治安って、どうなんですか?」と聞く前に、相手から話し始める。
「ケニアのナイロビで強盗にあったんですよ!思ってたより安全だったから、油断しました。バッグを肩にかけて歩いていたら、後ろからひったくられました。バッグはちゃんと前にかけてないとダメですね」
でもその日本人が衝撃を受けたのは、バッグではなくて人。
その直後、犯人に起きたこと。
「『泥棒!』って、大声で叫んだんです。そしたら、まわりの人たちがその泥棒を捕まえて、ボコボコに殴るんです。もう集団リンチですよ。その泥棒は頭から血を流したまま、地面から起き上がってこないんです。それで『ほら』とバッグをボクに返してくれたんです」
宿のケニア人に聞いたら「当然だ。外国人の荷物を盗むようなヤツは、立てなくなるまで殴った方がいい」と言う。
そんなことがあってから、彼は一切のスキを見せずに旅を続けた。
自分のためにも、他人を泥棒にさせないためにも。
ケニアの学校で働いていた日本人からは、こんなことを聞いた。
ケニアの人たちは超スーパーフレンドリー。
自分の気持ちに正直で、喜怒哀楽をはっきりしめす。
他人との距離感がなくて、悪く言えばズーズーしい。
困っている人がいたら、積極的にいろいろなことをしてくれる。
ただし、余計なお世話も多い。
そんなケニア人だったら、こんなことが起きたらどうするだろう?
2007年に、信じられないようなことが起きた。
走行中の特急電車の中で、21歳の女性が36歳の男に強姦された。
男はまず、座席に座っていた女性の隣に座る。
そして女性の体を触り出す。
その後、女性をトイレに連れて行ってレイプした。
泣きながら連れて行かれる女性を見て「何かおかしい」と感じた乗客もいたけれど、「何を見とるんじゃ!」と男ににらまれると、こわくて誰も何もできない。
結果、40人ほどいた乗客は全員見て見ぬふり。
「Jキャストニュース」の記事(2007/4/23)
当時、その車両には40人もの乗客がいたが、だれも犯行をとめようとしなかった。あまつさえ、誰ひとり車掌や外部に通報することもしなかった。信じられない卑劣さ。日本人のモラルは地に堕ちたのではないか。
新橋の事件は分からないけど、これはもうちょっと、何かできたのではないかと思う。
この場にいなかったから分からないけど、車掌や外部に通報することもむずかしい状況だったのか?
やっぱり、日本人には「義を見てせざるは勇無きなり」というところが弱いと思う。
これがケニアで起きていたら、男は乗客に殴られ蹴られ、頭から血を流して倒れていただろう。
そうなっても文句は言えない。
これより、全員が見て見ぬふりをすることの方が残酷かもしれない。
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ケニアの方のような対応を私もしたいと思います。ただマンションに酔っ払いが入り込んで騒いだ時に取り押さえた事がありますが、後味は良くなかったです。正しくとも力で解決する行為は時間とともに心を傷つけます。新幹線で女性を庇って亡くなられた男性の話が最近ありましたが、誰も望まない結末で社会の機能不全を感じました。富山や静岡では女性に対する酷い事件も発生してやり切れない思いでいっぱいです。ほんとうに何であんな事が出来るのかな。
私もいざその場にいたら、何ができたか分かりません。
新幹線の男性の方は勇気がありました。
でも、勇気の代に命を落としたとなると、やるせません。