きのう、日本とインドのカレーの違いについて書いた。
ナンの巨大化をはじめ、「カレーの日本化」は在日ネパール人の創意工夫によるところが大きい。
ネパール人はインド料理を固定的に考えず、日本人の好みを中心にインド料理を柔軟にアレンジすることができたから、こういうことが可能になったという。
外国のものを日本に合わせて魔改造してしまう。
日本人としてぜひ知ってほしいのだけど、このことが昔から得意なのは、じつは日本人だったりする。
今回の記事では、そんな日本人の長所について書いていこうと思う。
まずは戦前の日本を代表する東洋学者、内藤湖南先生の意見を見てほしい。
徳川時代になるといふと、外國の學問をする人でも、日本を中心に考へる思想が非常に盛んでありまして、それが詰り明治維新、今日の日本を形造る根本になつたのであります。
「日本文化の独立 (内藤 湖南)」
*これは別の記事で書くつもりだけど、朝鮮時代(室町・江戸・明治時代)、韓国は「自国を中心に考へる思想」にとぼしかった。とくに知識階級は中国を中心に考えていて、中国の文物を変えることを拒否していた。韓国が近代化に失敗した大きな理由にこの「中国中心主義」がある。
日本人は中国から大きな影響を受けたけど、中国を絶対視していなかった。
1000年以上前に、平仮名という日本文字をつくることができた背景にはこの考え方がある。
*韓国でハングル文字がつくられたとき、「中国と違う文字をつくるなんて!」と知識人は悲鳴をあげた。
江戸時代には中国の学問とオランダの学問を比較して、すぐれていると思った方を採用していた。
日本はどん欲に海外から学んでいたけど、自国中心主義で取捨選択をしたり、学んだものを日本風に変えたりすることができたから、明治維新や明治の近代化が可能だったのだ。
日本人の謙虚でえらそうな学習態度によって、いまの日本は形造られている。
明治維新や近代化は、日本人にとっては当たり前のことだけど、それを奇跡のように思った外国人もいる。
たとえばアメリカ人女性シドモアは明治日本をこう表現した。
日本の陸海軍の創設、警察機構、行政組織は諸外国の最高例を範とし、また教育機関は完璧で、米国、英国、ドイツも制度から得た賞賛すべき最高結合体となりました。
さらには郵便制度、灯台、電信、鉄道、病院も西洋と同じ方式を採用しています。
すべてこれらは、緩慢な成長、遅鈍な発達、悠長な必要性の所産ではなく、ほとんど自発的に日本帝国の魔術的指揮棒の一振りで完成させたのです
「シドモア日本紀行 (講談社学術文庫)」
人間のする魔術は、タネや仕掛けがあってはじめて成立する。
明治の成功のタネや仕掛けはその前の時代に準備されていた。
徳川時代からの積み重ねがあったからこそ、外国のものを積極的に受け入れてアレンジすることができたのだ。
古代は中国、近代では西洋から学んだけどコピーはしない。とっても、ゼロとは言わない。
「日本を中心に考へる思想」という観点から、それらを組み合わせたり日本に合ったものに変えたりして、社会を発展させてきた。
日本は昔からそんな国で、日本人にはそんな長所がある。
逆に日本がアジアのリーダーになろうとしたのが太平洋戦争で、その結果、日本は一度滅んでしまった。
やっぱり日本は教えるより、学ぶ側のほうが向いているのだ。
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