はじめの一言
「日本は西欧的な価値観をもって、世界の経済界のトップまで上り詰めた国である。自分の価値観を強要することなく、多元的な価値観や文化を受け入れながら成功していった唯一の国である(マハティール 昭和)」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
マハティール・ビン・モハマド(ウィキペディア)
マハティール氏はマレーシアの政治家で現在は首相をしている(2018年11月現在)。
欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策でも有名。
さて、これからスコットランド歴史について書いていく。
スコットランドといえば、日本でもこんなものや人が有名ですね。
「蛍の光、ウイスキー、ゴルフ、ネッシー、メアリ1世、ダンロップ」
くわしくはこの記事を見てください↓
スコットランドで有名な物や人:蛍の光、ウイスキー、ゴルフ、ネッシー、メアリ1世
さて、スコットランドの始まりをどこから書こうか?
やっぱり「ハドリアヌスの長城」がいいだろう。
ハドリアヌスの壁とは、イングランドとスコットランドとの国境近くにあるローマ時代の防壁。
2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスが、北方民族の侵入を防ぐために築いたもの。
ローマ帝国の北限をあらわしていた。
ハドリアヌスというのは、2世紀のローマ帝国の皇帝のこと。
高校世界史でならう人。
ハドリアヌス
五賢帝の3人目(在位117~138)。先代の拡大路線から安定路線に転じた。帝国内を巡幸し、ブリタニアにハドリアヌスの長城を築くなど、属州の安寧と発展に努めた。
(世界史用語集 山川出版)
この人が、皇帝ハドリアヌス(ウィキペディア)
この皇帝、漫画の「テルマエ・ロマエ」にも登場しているらしい。
「長城」といえば、もちろん中国にある「万里の長城」が有名。
でも、このハドリアヌスの長城も負けてまへんで。
イギリスの世界遺産になっている有名な壁。
上の説明にある「北方民族の侵入を防ぐために築かれたもの」という目的は中国の万里の長城と同じで、これも北方の遊牧民族「匈奴」(きょうど)の侵入を防ぐために築かれた。
ハドリアヌスの長城はイギリスにある世界遺産として有名だけど、世界史では「ローマ帝国でもっとも北のところ」としてすっごく重要な意味がある。
この壁の南がローマ帝国の領土で、北はローマ帝国の外になる。
だから、この壁がローマ帝国の北の国境線でもある。
この地図のイギリスに注目。
赤いところまでがローマ帝国。
灰色のところは、ケルト族の土地。
だから、その境がハドリアヌスの長城ってことだね。
ちなみにこれが日本と比べた地図。
これは面白い地図。
ローマが時代とともに、大きくなっていく様子が分かる。
こういうのを見ると、ネットってすごいと思うよ。
ハドリアヌスの長城の工事は122年に始まったというから、今から約1900年も前のことだ。
日本なら弥生時代にあたる。
弥生時代といえば言うまでもなく、日本中が埴輪(はにわ)づくりに夢中になっていた時代だ。
おっと、ハドリアヌスの長城の話だった。
日本の弥生時代に築かれたこの「ハドリアヌスの長城」は、ほとんどそのままイングランドとスコットランドを分ける「国境」になった。
この長城は文化的境界ではなく、あくまで軍事上の防衛線として建設されたが、スコットランドに対する防御壁として、ローマ帝国の支配が及ばなくなった4世紀後半以後も、17世紀まで使用されていた。
このため、イングランドとスコットランドの国境として半ば固定化し、現在のイングランドとスコットランドの境界線にも大きな影響を与えている。
(ウィキペディア)
ハドリアヌスの長城
スコットランドはどっちだ?
1034年、イングランドから見たらハドリアヌスの長城の向こう側に、スコットランド王国が生まれた。
ダンカン1世が1034年に即位して単一のスコットランド王国を樹立した。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
次回、この続きを書いていきます。
今回の復習
・「日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強
力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた」という首
相はだれ?
・2世紀に築かれた今のイングランドとスコットランドの境となる壁はなに?
・その壁の内側はどこの国だった?
・弥生時代、みんなが一生懸つくっていたのはなに?
答え
・マハティール
・ハドリアヌスの長城
・ローマ帝国
・埴輪(はにわ)
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