【日本の真逆】大国に囲まれたポーランドの悲惨な歴史

 

「領土ガチャ」で言えば、ポーランドが引いたのは大ハズレ。
東にはロシア、北西にはプロイセン(ドイツ)、そして南西にはオーストリアと国境を接していて、ポーランドはこの大国たちに好きなようにヤラれてしまった。
ケーキをナイフで分けるような気軽さで、他国に国土を引き裂かれた悲惨な歴史は日本にはない。

 

ロシア、プロイセン、オーストリアの指導者たちがポーランドの地図を見ながら、どの国がどれだけの土地を手に入れるかについて口論している。
左端の女性はロシアのエカチェリーナ2世で、この場にポーランド人はいない。

 

きょう1月23日は、1793年に「 第2次ポーランド分割」が行われた日。
1733年にポーランド王が亡くなると、誰が後継者になるかをめぐって、周辺国を巻き込んで戦争がぼっ発した。(ポーランド継承戦争
ポーランド人同士が激しく殴り合った結果、国が弱体化するという最悪の結果を招いてしまう。
プロイセン・オーストリア・ロシアにとっては、このオウンゴールはとってもおいしい。
1772年に、その3国によって第1回ポーランド分割が行われ、それぞれがポーランドの領土を奪い取ってしまう。
これが「終わりの始まり」だ。

次は、1793年に「 第2次ポーランド分割」があって、ポーランドはロシアとプロイセンにさらに領土を奪われる。
このときフランスでは革命がおきていた。
ハプスブルク家出身のマリー・アントワネットがその革命の嵐に巻き込まれ、オーストリアはそっちの対応で手一杯で、このポーランド分割に参加することができなかった。
しかし、この時点で「もうやめて! ポーランドのライフはゼロよ!」みたいな状態になる。

 

ポーランドが存亡の危機にあって、1794年に愛国者コシチュシュコ(コシューシコ)が「このまま滅亡させるてなるものか!」と義勇軍を結成し、ロシア軍と戦ったが、結局は返り討ちにされる。
不幸は友だちを連れてやってくるという。
この反乱でロシアが激怒し、1795年にプロイセン・オーストリア・ロシアの3国によって、第三次ポーランド分割が行われた。
そして、ポーランドはすべての領土を奪われ、完全に滅亡した。

ポーランドが独立を回復するのは、この123年後のこと。
第一次世界大戦中の1917年にロシアで革命がおこり、1918年にドイツでも革命がぼっ発する。
ロシアとドイツが「無力化」したことで、ポーランドはアメリカの支持を受けて、1918年に再び独立国となった。
しかし、1939年に第二次世界大戦がはじまると、ポーランドはまたドイツに支配され、戦後はソ連の「属国」にされる。
ポーランドが外国の影響を排除し、完全な独立国になったのは1989年だ。

 

ポーランドの国民的英雄・コシチュシュコ

 

「領土ガチャ」で言えば、ポーランドとはまったく違い、360度を海に囲まれた日本はアタリを引いた。
日本が人類史で初めてできた国ではないが、現在に続く国としては世界でもっとも長い歴史を持つ。
神話によれば紀元前660年、歴史的には何世紀に日本がはじまったか分からないが、とにかく日本は古代に誕生してから、これまで一度も滅亡したことがない。
天皇が途絶えたこともないから、皇室はギネスで「世界最古の王家」(Oldest ruling house)と認められている。
日本人が123年間も国を失って、戦い続けたというのはマンガの設定で、ポーランドの歴史とは本当に対照的だ。

 

世界史で、一番下の日本だけが古代からずっと変わっていない。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。