「上官に命令されて…」は通じるか?
「本当はやりたくなかったが、命令されて仕方なくやった」という人を罪に問うべきか?
2026年2月13日付けの『朝鮮日報』が社説でそんな主張をした。
韓国政府は「命令に服従する義務」負う軍人たちをこれ以上いじめるな
背景にあるのは、2024年12月に韓国で起きた「非常戒厳」だ。
当時、尹 錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が武力で反対勢力を一掃するため、戒厳令を出し、韓国軍が国会へ突入した。
後に、この「非常戒厳」そのものが違法だったと認められ、尹氏は「内乱首謀罪」で起訴された。尹氏をはじめ、これを計画し命令した政権や軍の上層部が法的責任を負うのは当然だ。
しかし、その命令を受けて出動した現場の兵士たちはどうなるのか?
彼らのほとんどは命令の内容を知らなかったし、現場の指揮官らも突然の戒厳令に当惑したという。彼らはただ、上からの指示に従って動いただけに過ぎない。
軍隊という組織の特殊なルール
一般社会と違い、軍隊には絶対的なルールがある。
朝鮮日報は「軍人にとって命令への服従は生命にも等しい規律だ。有事に命令に従わない場合は処刑されることもある」と強調し、何も知らされないまま出動した軍人を罪に問うべきではないと主張している。
「確かに私はそれをしたが、自分の意思ではなかった。軍人だったから拒否することはできず、命令にしたがっただけだーー。」
違法行為に参加したが、立場上、そうするしかなかった者は、ある意味、被害者だとも言える。だから、そんな人間は無実にするべきか?
ここで有名な歴史の事例を見てみよう。
歴史の教訓:ニュルンベルク裁判
この問題は、過去にも世界中で議論されてきた。
特に有名なのが、第二次世界大戦後におこなわれたニュルンベルク裁判で、「Superior orders(上官の命令)」が大きな問題になったケースだ。
戦後、ナチス・ドイツの関係者は、600万人のユダヤ人を虐殺したホロコーストについて罪に問われた。その際、多くの人が法廷で「私は上官の命令に従っただけだ」と主張した。これを「上官命令抗弁」という。
あの当時、組織や軍隊において命令服従は絶対だったから、自分に有罪判決を下すのは正しくない、という理屈だ。
彼らにしてみれば、自分は巨大なシステムの一部であり、逆らえない「被害者」だったのだろう。
「人道に対する罪」に言い訳はなし
しかし、ニュルンベルク裁判でこの論理は認められなかった。
「虐殺や拷問といった人道に対する罪は、明確に国際法に反する行為であるので、たとえ上官の命令であっても免責されない」という理由から、彼らの訴えは却下された。
つまり、「いくら命令でも、人間としてやってはいけないことがある」という判断だ。大量虐殺のような明らかに反人道的な行為は、「命令だから」といっても実行することは認められない。
そんな理由で無罪にしたら、後世への教訓にもならない。
といっても、その時その場で、上官ではなく自分の良心にしたがって、命令を拒否することはかなり困難だが。
例外的に「罪にならない」ケースとは
ただし、例外はある。
「その状況下では、上官の命令を拒否したら、処刑されるなどの致命的なリスクがあった」と、客観的な事実によって確認される場合は罪に問われなかった。
「やらなければ、今すぐ自分が殺される」という極限状態であれば、法は無理を強いることはできない。
ニュルンベルク裁判で、これが認められたケースがどれだけあったかは知らない。しかし、基本的にはホロコーストのような巨悪の前では、「上官の命令にしたがっただけ」という言い訳は通用しなかったはずだ。
韓国はどうする?
話を韓国に戻そう。
ニュルンベルクで問われた虐殺行為と違って、2024年の非常戒厳では、幸いなことに一滴の血も流れなかった。「あの戒厳令」は違法だったが、韓国の憲法で戒厳令そのものは認められている。とてもナチスの虐殺と比べることはできない。
個人的には、現場の兵士は無罪にするべきだと思うけれど、李 在明(イ・ジェミョン)政権はどう判断するのか。
兵士たちを罰することで「二度と不正な命令に従うな」と教訓を残すのか、それとも「彼らも被害者だ」として許すのか。
この判断は、これからの韓国の民主主義に大きな影響を与えると思われる。

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