バングラデシュ人が日本を選んだ理由
知人のバングラデシュ人は日本の大学に留学していて、卒業したあとは母国に帰らず、日本で働くことにした。
彼が日本に残ることを決断した大きな理由は、日本なら安心して、自分の信仰を守ることができるからだ。
世界を見渡すと宗教をめぐる争いは絶えない。
バングラデシュではヒンドゥー教徒とイスラム教徒が対立し、家を襲撃されて家具を破壊されたり、住民が殺害されたりする事件が何度も起きている。
信じる神が違うという理由だけで、暴力や命の危険にさらされる現実が世界にはある。
その点、日本人は他人の宗教に無関心、良く言えば異なる信仰に寛容だから、彼は日本で生活していて、自分の信仰について不安や危険を感じたことは一度もなかったと言う。
彼が理想とする異文化との共生が、日本では当然のようにある。
(全国的にはさまざまな問題が発生しているけれど。)
日本人は昔から、信仰に対しては寛容なのだ。これからヨーロッパと比べて、この「寛容さ」の歴史を振り返ってみよう。
ジョルダーノ・ブルーノの処刑
日本で天下分け目の「関ヶ原の戦い」がおきた1600年、イタリアで1人の男が処刑された。その人物の名前は、哲学者のジョルダーノ・ブルーノという。
彼はキリスト教の教えに反する主張をし、神を冒とくしたことなどの「罪」で有罪判決を受け、生きたまま焼き殺された。
彼はキリストの神性やマリアの処女性を否定し、人は死んだら生まれ変わる「輪廻」の考え方を支持したとされた。
また、地球が宇宙の中心で、その周りを星がまわっているという「天動説」が常識だった時代に、彼はそれを否定した。コペルニクス的な「地動説」を支持し、それも「反キリスト教」的であると断罪された。
当時のヨーロッパでは、キリスト教の教えが絶対的に正しく、その真理に反する主張は神の栄光を汚し、社会秩序を揺るがす危険思想と考えられた。
教会こそが真実であり、それに逆らう者は存在することを認められなかった。
カトリック教会の常識からしたら、ブルーノは絶対に許されない「悪」だったため、キリスト教の「復活」もできないように、肉体を完全に焼き尽くしたのだ。
ブルーノの遺灰は川へ投げ捨てられ、遺族が彼の葬式をしたり墓をつくることも禁止された。これ以上ないほどの徹底的な抹殺だ。

ジョルダーノ・ブルーノ(1548年 – 1600年)
日本独自の「神仏習合」という知恵
これに対して、日本の歴史は一般的に信仰に対してかなり寛容だった。
ジョルダーノ・ブルーノのように、信仰の理由だけで処刑された人物なんて思い浮かばない。
もちろん対立がなかったわけではない。
6世紀に仏教が朝廷に伝わったとき、それまであった神道を支持するグループ(物部氏など)と、仏教を受け入れようとするグループ(蘇我氏など)の間で武力衝突がおきた。
しかし、最終的にはどちらも排除するのではなく、日本人は共存を選択した。
その象徴は、用明天皇(聖徳太子の父)は「仏法を信じ、神道を尊びたまう」という言葉だ。
日本人はどちらも尊重し、両宗教が混じり合い「神仏習合」という独自の寛容な信仰スタイルがうまれた。寺の境内に鳥居や神社があるのは、この歴史があるからだ。
数百年前のヨーロッパでは、異なる教えを同時に信仰するという考え方は神への冒とくになるため、そんな人間はまず間違いなく処刑された。
しかし日本では、現代にいたるまでそんな信仰が常識的になっている。
初詣で神社や寺に行って、結婚式は教会で挙げ、葬式はお寺でおこなう。こんなデタラメ(平和共存)が実現している国は世界で日本ぐらいではないか?
「八百万の神」という言葉があるとおり、日本人はさまざまな神の存在を認め、一神教のような特定の神を唯一絶対とし、それ以外の神を否定する独善的な考え方を嫌う。
「日本二十六聖人」の悲劇と、その裏側
しかし、日本にも例外はある。
日本の歴史でブルーノの処刑と似た出来事があるとしたら、ほぼ同時期の1597年に起きた「二十六聖人の処刑」だろう。
これは、キリスト教の信仰が理由となり、豊臣秀吉の命令によって長崎で26人のカトリック信者が磔(はりつけ)にされ絶命した事件だ。
この悲劇は、一見すると日本が宗教的寛容さを失ったかのように見える。
しかし、背景を深く探ると、伝統的な日本の価値観である「寛容」が、西洋的な「不寛容」を認められなかったと言うこともできる。
なぜ秀吉はこれほど厳しい処断を下したのか。
当時、カトリック信者となった日本人の一部は、自分たちの信じる神だけが正しいと信じ、神道や仏教を「邪教」として否定し、神社や寺を破壊する蛮行をおこなった。
カトリックの考え方はとても独善的で、他宗教との共存なんて絶対に認められなかった。「仏法を信じ、神道を尊びたまう」という日本的な態度は、彼らにとっては許されない「堕落」だっただろう。
さらに、政治的な脅威もあった。
「スペインは宣教師を送り込み、信者を増やしてからその国を征服する」という話を秀吉が聞き、軍事侵略を警戒したことが26人の処刑の原因になったという説もある(サン=フェリペ号事件)。
つまり、キリスト教の教えそのものよりも、「他を排除する非寛容さ」という一神教の性質が、神と仏に手を合わせる日本人の価値観とはまったく合わなかったのだ。
天皇や秀吉より「神」を尊重する態度も、日本の社会秩序を根底から破壊する危険性があった。

26人の処刑
「不寛容」に対する「寛容」の限界
ここから見えてくるのは、日本社会の特質だ。
日本は、伝統的な宗教的な寛容を守るためにも、外から持ち込まれた「非寛容(カトリックの独善性)」に対しては、「寛容」ではいられなかった。
これは、一種の「寛容のパラドックス(逆説)」だと思う。寛容な社会を維持するためには、不寛容なものを排除しなければならないという理屈だ。
ジョルダーノ・ブルーノはキリスト教の教義や教会の権威を守るために焼かれたのに対し、日本のキリシタンたちは「日本の寛容な精神風土」と「西洋の排他的な真理」が衝突した結果、命を落としたと言える。
今でも日本人は異なる信仰に対して寛容だ。だから、冒頭のバングラデシュ人は日本に住むことを選んだ。
しかし、日本の寛容さを利用し、独善的な行為をする人たちには厳しい。日本の価値観や常識を否定するような態度は認められない。秀吉のように処刑することはないが、社会的に排除される。
用明天皇のように、異なる考え方を同時に尊重する姿勢が今でも日本で大切にされている。

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