ことしの春、お寺へ参拝に行ったら、ユニークな光景を目撃した。
本堂の前に20代のカップルがいて、2人が賽銭を投げ込んだ後、彼氏が手を合わせてお祈りをしている横で、彼女が「パンパン」と手をたたく。
彼が驚いて「バカっ、おまえ何やってんだよ。ここはお寺だぞ」と言うと、彼女も「え? 手を合わせるの?」とビックリした顔をする。
とっても日本人らしいやり取りを見てホッコリした。
アンリ4世(1553年 ー 1610年)
さて、きょう5月14日は、フランス・ブルボン朝の初代国王アンリ4世が1610年に亡くなった日だ。
現在のフランスで、アンリ4世はかなり人気が高い。
というのは、フランス国内がキリスト教のカトリックとプロテスタントの勢力に分かれ、1562年〜98年までの約40年間に、休戦を挟みながら8回も戦ったユグノー戦争を彼が終わらせたから。
この内戦では、1572年にカトリックがプロテスタントを大量に虐殺した「サン・バルテルミの虐殺」が起きて、犠牲者は2万人に達するという説もある。
これを含め、ユグノー戦争全体で何人が命を奪われたのか、もはや想像もできない。
ユグノー戦争の時代、国王アンリ3世はカトリック同盟のトップ(ギーズ公アンリ)を暗殺したことで、カトリックを敵に回してしまう。1589年に彼は修道士のクレマンによって、短刀で腹部を刺されて殺害された。
次にフランス国王に即位したのがアンリ4世だ。
彼は宗教的な正しさを求めて国を分裂させることを嫌い、1598年になんと、「ナントの勅令」を出し、プロテスタントにもカトリックとほぼ同じ権利を与え、ユグノー戦争を終わらせた。
これから荒廃した国家を立て直そうとしたが、1610年5月14日、アンリ4世はパリ市内でカトリック教徒の男に襲われ、刃物で刺されて亡くなった。
アンリ4世は平和をもたらしたが、男は「王はキリスト教徒としての責務を果たさなかった」と思い込み、犯行に及んだらしい。こうなるとカトリック狂徒だ。
アンリ4世を暗殺した犯人の公開処刑
両手両足を4頭の馬とロープで結び、馬をそれぞれの方向に走らせて四肢をバラバラにした。
ヨーロッパにあって日本になかったのが、ユグノー戦争やドイツの三十年戦争のような宗教戦争。
日本の歴史でも、宗教の違いをめぐって争うことはあったが、国内が真っ二つに分かれ、神の名のもとに互いに殺し合う凄惨(せいさん)な戦いは一度も起こらなかった。
三十年戦争は諸外国を巻き込む大戦争となり、800万人以上の死者を出す。
こんな戦争が日本にあるわけがない。
日本では古代から神道と仏教の仲はとても良く、共存どころかごちゃ混ぜになってしまう。
日本の文献で初めて「神道」という言葉が出てくるのは『日本書紀』で、6世紀ごろ用明天皇が「仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」と書いてある。
天皇の宗教に対する考え方は、仏法(仏教)を信じると同時に神道を尊ぶというもので、個人的には、日本版ナントの勅令と呼んでいいと思ってる。
これによって、「用明天皇は神道の信者としての責務を果たさなかった」と誰かに恨まれ、暗殺されるようなことは日本では起こらない。
むしろ、その寛容な考え方はその後の日本人に引き継がれ、やがて両宗教が融合する「神仏混合」という日本独特の信仰スタイルが生まれた。
その独自性は日本人よりも外国人、とくにキリスト教やイスラム教などの一神教の文化圏で育った人の方がよくわかる。
オーストリア出身でウィーン大学で日本学を学んだ後、外国人として初めて神主になったウィルチコ・フローリアンさんは、日本人の信仰についてこう話す。
「nippon.com」の記事(2016.10.24)
その一番代表的な例は、奈良時代に仏教を受け入れたことです。religionという考えからすれば、受け入れて全て仏教にしてしまうか、一切受け入れないかしかないのです。「神仏混合」というのは、他の国ではあり得ない話です。
ヨーロッパで宗教戦争が終わったのは、1648年に、三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約が結ばれたときとされる。
そのころ日本では神道が仏教が一体化していて、日本人はどっちも同じように信仰していた。
そんな神仏習合がずっと続き、現代では、その2つの違いがよく分からない日本人もいる。
日本にはない、キリスト教やユダヤ教の「神との契約」という考え方
>religionという考えからすれば、受け入れて全て仏教にしてしまうか、一切受け入れないかしかないのです。「神仏混合」というのは、他の国ではあり得ない話です。
>外国人神主、ウィルチコ・フローリアン
うーん、どうしてそういう狭小な考え方しかできないんでしょうかね?
伝統的な神道だけ、あるいは他国伝来した仏教だけでは、「人々の心に安らぎを与え世の中に秩序をもたらす」という効果が不十分であると感じられるのであれば、第二、第三の宗教を持ち込んで使いこなしたところで構わないじゃないですか。神様(あるいは仏様)って偉そうな説教をあれこれ垂れる割には、そんなに心が狭いのですか? それでは差別主義者と同じですよね。
そんなことだから「宗教はアヘン」なんて批判する思想家も登場するのです。
神仏習合、上等じゃないですか。日本人が作り出した「新たな宗教の実用法」として世界に誇ってもよい思想だと私は思いますよ。(でもまあ、他国からの賛同はとても得られそうにないですけどね。)
このオーストリア人は初めて神道の神主になった外国人で、神道の考え方を称賛しています。