先ほど朝鮮日報のこんな記事(2019/10/21)を紹介した。
安倍首相側「韓国の変化がない限り、我々からの贈り物はない」
日本からの「贈り物」というのは日韓関係を進めるための具体的な行動のこと。
でもそれには、まず韓国側が前向きな態度を見せないといけない。
くわしいことはこの記事をどうぞ。
【最悪の日韓関係】熱い韓国と冷めた日本、“決戦”は10月24日
政治の話は以上で、ここからは日韓の歴史について。
韓国の首都ソウルにはこんな「独立門」がある。
これは日本からの“贈り物”に関係しているのだ。
パリのエトワール凱旋門をモデルにして作られたこの門は1897年に完成した。
問題は、韓国がどこから独立したかだ。
言い換えれば、それまで韓国はどこの国に従属していたのか?
答えはもちろん、東アジアのジャイアン・中国で、この場所にはもともと中国からの使節を迎える「迎恩門」が建っていた。
迎恩門は韓国(朝鮮)にとって中国従属の象徴、事大主義のシンボルだった。
じだいしゅぎ【事大主義】
勢力の強い者に追随して自己保身を図る態度・傾向。朝鮮史では朝鮮王朝のとった対中国従属政策をいう。
「大辞林 第三版の解説」
事大主義とは「小を以て大に事(つか)える」という意味。
2~30年前の歴史教科書では「事大主義」という用語はふつうに使われていたけど、いまでは隣人への配慮から歴史教科書から消えたと聞いたけど、実際はどうだろう?
中国に従属していたといっても、これは中国の元号を使うなどの外交的な君臣関係で、朝鮮の政治は朝鮮国王によって行われていた。
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形式的なものであれ、中国の「属国」という状態に屈辱を感じていた韓国人は多くいた。
そんな状況を一変させたのが日清戦争での日本の勝利だ。
そのあと日本は清と結んだ下関条約で、韓国の独立を中国に確認させている。
「清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。」
解放されたからにはそれを象徴するものが必要で、「独立門」はそんな韓国の人たちの思いから作られた。当時の新聞にはこう書いてある。
朝鮮が何年も清国の属国であったが、神様の恩恵で独立され、朝鮮大君主陛下が今は世界の首脳と同等な立場となり、朝鮮人民が世界にまたがる自由な人になったがゆえに、このようなめでたいことを無視するのは道理ではない。朝鮮が独立したことを世界に知らせ、また朝鮮の後生に、この時から朝鮮が永遠に独立したことを伝えるためにも表迹(表象)が必要であり
『独立新聞』1896年7月4日「論説」
右が1897年につくられた独立門。
左には迎恩門の柱だけが残されている。
韓国の独立について「神様の恩恵で独立され」と書いてあるけど、正確には日本の勝利による。
“日本隠し”はこのときから行われていたらしい。
当時、朝鮮半島を旅行していたイギリス人イザベラ・バードはこれを日本からの“プレゼント”と書いた。
一八九五年一月八日、わたしは朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた
「朝鮮紀行 イザベラバード (講談社学術文庫)」
また太平洋戦争のあと、アメリカの学者ヘレン・ミアーズもこう書く。
日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。
「アメリカの鏡・日本 ヘレンミアーズ(角川oneテーマ21)」
日本が中国に勝利して韓国が独立できたことを、明治時代のイギリス人は「独立というプレゼントを贈った日本」、昭和のアメリカ人は「日本は韓国に自由を贈り」と表現した。
第三者の欧米人の目にはそう映ったのだけど、この見方は現代の韓国人の価値観とはまるで違う。
だからこれを知ったら彼らはきっと怒る。
この歴史認識は100年以上前のイギリス人と50年以上前のアメリカ人のものだけど、まわりまわってなぜか日本が怒られるに150W。
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