ソ連・日本・中国の人肉食。ホロドモール、天明の飢饉、文化大革命。

 

最近、「文化大革命がおこなわれていた時の中国で、人肉が食べられていた」というショッキングな記事を見た。

それで今回は人類の「人肉食の歴史」として、次の3つについて書いてみようと思う。

ソ連のロシア内戦とホロドモール。
日本の天明の飢饉。
中国の文化大革命。

“それなりの映像”もあるから、もし食事なら、それがすんだ後に読み進めてほしい。

 

 

日露戦争中の1905年、ロシアで「血の日曜日事件」が起こる。

これがきっかけになり、ロシア革命へとつながる。

革命は成功した。
約300年続いたロマノフ王朝(1613年ー1917年)はたおされ、レーニンを指導者とする人類史上初の社会主義政権が誕生した。

ロシアのロマノフ王朝の最後はとても悲惨(ひさん)。
思わず目を覆いたくなる。

1918年7月17日、秘密警察(チェカ)の銃殺隊が到着し、皇帝一家7人と4人の従者を地下室に集めて銃殺。しかも処刑の事実を秘密とし、遺体は焼却した上、硫酸で溶かして証拠を隠滅、近くに埋めました。

ロマノフ王朝の最期

 

革命が終わってもロシアは安定しない。
すぐにロシア内戦が発生した。

このロシア内戦によって、国内に大量の難民が発生する。
これがいわゆる「ロシア難民」と呼ばれる人たちだ。

彼らの映像が今も残されている。

 

 

 

このときロシアを訪れたナンセンがこう証言している。

「ロシアの市場では、公然と塩漬けにされた人肉が売られています。数百万もの人間が飢えと寒さで残酷なほどゆっくりと死を迎えています」

「NHK映像の世紀 10集」

ナンセンは国連の初代難民高等弁務官で、「難民の父」と呼ばれている人。
このとき欧米は、「援助をしたとしても、ソ連の共産党が奪ってしまって人民にはわたらない」と積極的な支援をしなかった。

 

画像は「NHK映像の世紀 10集」から。

 

その結果、埋めることもできないほどの死体の山が築かれた。
飢えと寒さで亡くなった人は900万人にものぼると言われる。

 

 

この後すぐ、1930年代にもホロドモールという悲劇が起こる。

このホロドモールは、ウクライナ(当時はソ連)を飢餓地獄に変えた。

食料を没収された農民達はジャガイモで飢えをしのぎ、鳥や犬や猫、ドングリやイラクサまで食べた。遂に人々は病死した馬や人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死しており、赤ん坊を食べた事さえもあった。
通りには死体が転がり、所々に山積みされ、死臭が漂っていた。

(ウィキペディア)

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ホロドモールによる餓死者と見られる。
群集が集まる中、路上に放置されている。(ウィキペディア)

 

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飢餓により街頭に倒れ込んでいる農民と気を払うことなく通り過ぎるようになった人々。
(ウィキペディア)

街中に餓死者がいることが日常になってしまった。

 

 

人類の歴史ではこんなことがある。
飢えによって極限状態になってしまうと、人は人肉まで口に入れてしまう。

日本にもそんなことがあった。

いきなりですけど、江戸時代の三大飢饉(ききん)を知ってますか?

 

 

答えはこの3つ。

「享保(きょうほう)の飢饉」
「天明の飢饉」
「天保の飢饉」

この3つが江戸時代の三大飢饉と呼ばれている。

ここでは「天明の飢饉」を取りあげたい。

天明の飢饉

1782~87年の長雨と浅間山大噴火・冷害・水害などによる全国的な大飢饉。特に東北地方に甚だしく、餓死者は仙台藩だけで約30万人という。

「日本史用語集 (山川出版)」

1742年の仙台藩の人口が816,061人とある(ウィキペディア)。
この数字からすると、天明の飢饉のとき、仙台藩では3人に1人が餓死している。

広島の原子爆弾で亡くなった人の数は約14万人(死者数について)。
何の武器も使わずに、仙台ではこの2倍の人が餓死した。

このときもロシア難民と同じく、「飢えと寒さで残酷なほどゆっくりと死を迎えています」という状態だったのだろう。

 

 

天明の飢饉のとき、東北は文字どおりの地獄絵図となった。
このときに人肉が食べられたという記録がある。

杉田玄白は『後見草』で伝えているが、死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉と騙して売るほどの惨状で、ある藩の記録には「在町浦々、道路死人山のごとく、目も当てられない風情にて」と記されている

(ウィキペディア)

「ブリタニカ国際大百科事典」にはこう書いてある。

各地で餓死,行き倒れ,病死が続出,なかでも関東,奥羽地方は草根,牛馬はもちろん犬猫,あるいは人肉すら食うという惨状を呈した。

日本史を習っている人は、ついでにこのことも覚えておこう。
天明の飢饉で日本の社会が大混乱する。
これによって、老中だった田沼意次の失脚が早まった。

 

 

中国で文化大革命がおこなわれていたのは、1966~1976年の10年間。

文化大革命(文革)とは、毛沢東が主導して紅衛兵(こうえいへい)を動かし、中国全土に広がった政治運動のこと。

紅衛兵は中国の中学生・高校生・大学生たちでつくられた組織。
この青少年が「中国(毛沢東)の敵」を見つけ出しては、彼らを拷問をしたり殺したりしていた。

中国人作家の鄭氏が広西省で、文革時の「人食い」の調査をおこなっている。
それによると、広西省の武宣県にはこんな記録(県史)があった。

中学校で生徒らは数名の教員を囲んで暴行した。まもなく呉樹芳という教員は死亡した。造反派のリーダーは「肝臓は体に良い」と言って、肝臓を取り出し、持ち帰った。肉も一部切り取って、生徒17人で調理して食べた。学校中、血痕だらけ、血のにおいが充満していた。

当時、町中に血の付いた棍棒や石が散乱し、バラバラにされた遺体は随所に横たわっていた。すべては「革命」という名のもとで行われていた。

文化大革命中 広西省で集団人食い=中国政治学者

この記事を読む限りでは、この人肉食はロシア難民や天明の飢饉とは違って「飢え」のためではない。

なんで中学生が教師を殺してその肉を食べてしまったのか?
その理由がよく分からない。

 

文化大革命の時、広西省で行われた集団公開処刑の光景。(上の記事から)
文革時には、中学生や高校生が大人を処刑したこともあったという。

 

中国の三国志では、劉備玄徳が人の肉を食べる場面があった。

でも、「人肉を食べる」というのは、日本人の読者にはショックが大きすぎる。
そこで「日本版三国志」を書いた吉川英治氏は、その場面をカットしている。

この話は現代の日本人にとって共感出来ないエピソードととられるため、吉川英治は『三国志』執筆の際、鉢木を引き合いに出してこの話の解説をしている。

劉安 (三国志演義)

具体的にどんな場面かは上をクリックして見てほしい。

 

 

ただ、中国の歴史で人肉食があったとしても、それは今の中国人の常識や考え方とはかけ離れている。

これが「中国の文化」ということはあり得ない。

40代と20代の中国人女性に「三国志で劉備が人の肉を食べた」という話をしたら、「えええっ!本当ですか!?」と目を丸くして驚いていた。
この2人が読んだ三国志には、そんな場面はなかったと言う。

人肉食は今の中国人にとっても共感を呼ぶものではないから、カットされていたのかもしれない。

 

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。