フランス人は「表現の自由」をとても大事にしていて、言いたいことを言ってやりたいことをする。
すべてがそうとは言わないけど、過労死が深刻な社会問題となるほどガマン強すぎる日本人とは比較にならない。
なんせフランスは中世ヨーロッパを代表する哲学者・ヴォルテールを生んだ国なのだから。
ヴォルテールの言った、民主主義の精神や言論の自由を象徴する有名な言葉がある。
「私はあなたの意見に反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
ヴォルテールの墓
さまざまな人種・宗教の人たちが住む多文化共生社会のフランスで、表現の自由とイスラーム教の価値観が正面衝突して悲惨な事件が今月16日におきた。
パリの中学校で歴史の先生が授業中に、イスラーム教の予言者ムハンマドを風刺する絵を生徒に見せたところ、これに激怒した過激派なイスラーム主義者が路上で教師の首を刃物で切断。
このテロリストは自身のツイッターに教師の頭部と下のメッセージを投稿し、そのあと駆けつけた警察官によって射殺された。
「異教徒の指導者マクロン(大統領)へ、ムハンマドをけなしたおまえの犬の1匹を殺した」
この事件が起こる1か月ほど前、マクロン仏大統領がフランスにおける表現の自由についてこう言った。
朝日新聞の記事(2020年9月2日)
マクロン大統領も1日、訪問先レバノンで開いた会見で記者から質問を受け、「フランスには冒瀆(ぼうとく)の自由がある。私はそうした自由を守るためにいる」などと語った。
シャルリー・エブド、ムハンマド風刺画再掲 不屈へ決意
殺された教師が生徒に見せたのは、仏メディアのシャルリー・エブドが掲載した風刺画だった。
「フランスには冒とくする自由がある。私はそうした自由を守る」という言葉が印象的で頭に残っていて、同時に、冒とくされた側は怒るだろうなと自然に思った。
2017年にオランダのルッテ首相が、オランダ社会の価値観を尊重せず、自由を乱用する一部の外国人に対して「いやなら出ていけ」と厳しく一線を引いた。
くわしいことはこの記事を。
ほかの国民に怒りを感じさせるほどの自由なんて認められない。
2012年に日本のニュース番組で、インタビューに答えたフランス人が「外からやってきてこの国が嫌いだというなら、帰ればいいんだよ」と答えたのを見た。
この言葉は排外主義のにおいが強いと感じたけど、「いやなら出ていけ」を多くのオランダ国民が受け入れたのを見て、多文化共生社会の実現にはルッテ首相のような考え方や態度が必要なんだと思う。
でも、「冒とくする自由がある」ってのは行き過ぎでは?
でも部外者の日本人には関係ないし、フランスのことはフランス人がきめたらいいさ。
と1か月前にそんなことを考えたのを、「異教徒の指導者マクロンへ、ムハンマドをけなしたおまえの犬の1匹を殺した」という言葉を見て思い出した。
もちろんマクロン大統領の言葉と今回の事件を結びつけるモノはないけど、一国の大統領がこう発言したことは国民の意識に間違いなく影響をあたえるはずだ。
フランスが守るべき表現の自由を別の言葉で表していたら、今回の事件もひょっとしたら別の形になっていたのではと思う。
まぁ仮定の話、「タラれば定食」なんですけどね。
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この件、色々ネットをあさって調べてみましたけれども、マクロン大統領自身の発言として確認できたのは「私たちは風刺画や戯画を放棄することはありません」という表現だけでした。
「風刺画や戯画により宗教を批判する自由」と言ったのを、「冒とくする自由」と拡大解釈して表現し報道したのは、この記事を伝えた記者達が勝手にやったことじゃないですかね。もし意図的にやったとしたら、極めて悪質なメディアによる暴力だと思う。
それにしてもなぜ、人々は大手メディアや有名評論家の言うことをすぐ盲信してしまうのか? 妙な話だったら「それは本当か?」と一度は疑ってみるのが当然だと思いますが。
ちなみに、フランスの戯画(漫画)による風刺の伝統は、キリスト教に対しても容赦なく使われていますよ。
マクロン氏の発言については、共同通信の記事「マクロン氏には「治療が必要」」にこう書いてあります。
「イスラム教預言者に対する風刺を「冒涜する自由」として擁護するマクロン氏の立場にはイスラム世界から反発が出ている。」
日本人にはフランス的な表現の自由は合わないと思います。