日本とインドネシアの関係:ロウムシャ・独立宣言・戦争

 

きょう8月17日はインドネシアの独立記念日だ。
1945年のこの日、独立運動の指導者だったスカルノらがオランダからの独立を宣言
ただ日本では一般的に、後にインドネシアの初代大統領となったスカルノよりも、「私の力の源泉になって欲しい。私の人生の喜びになってください」とスカルノにプロポーズされて結婚したデヴィ夫人のほうが知られている。
独立を宣言しても再びオランダがやって来たから、インドネシアが最終的に独立を達成したのはそれに打ち勝った後の1949年12月27日だ。

この独立宣言には「17/8/05」という日付がある。
「05」とは戦前・戦中に日本でよく使われていた、初代天皇である神武天皇が即位した年を元年とする「皇紀」の2605年のこと。
このとき日本はインドネシアと深い関係にあって、独立を支持していたのだ。
独立宣言に関する会合がジャカルタの前田精海軍少将の公邸で行われたことについて、後に初代外務大臣となるスバルジョは「こうして、一人の勇敢な日本海軍少将の家での、忘れることのできない夜の会合は終わった。」と著書に書いている。

で、いまのインドネシアの人たちは、独立宣言に刻まれた皇紀を知っているのか?
最近、2人のインドネシア人(20代の男女)にこの数字を見せてたずねると、「ええ、知ってますよ。1945年のことですよね。」と言った後、不思議そうな顔をして「あれ?『05年』?これ、45年の間違いじゃないですか?」と2人とも首をひねる。
それでスマホで調べて、初めてそれが日本の皇紀であることに気づくと「えええええっ」とビックリする。
やっぱり、インドネシアではあまり知られてないようだ。

 

太平洋戦争で日本軍は、インドネシアを植民地支配していたオランダを追い出した後に軍政を敷く。
そのとき住民に厳しい労働をさせたことから、いまのインドネシアの歴史教科書には「ロウムシャ(労務者)」という単語が載っている。でも同時に、日本は学校などをつくって国づくりに必要な教育をした。
特筆すべきは「ペタ」だ。
日本は約4万人のインドネシア人に軍事訓練を行って、郷土防衛義勇軍(PETA)を組織する。
日本がアメリカに降伏した後、再びやってきたオランダ軍と独立戦争を戦う中心となったのがペタのメンバーだった。
このときインドネシア人と一緒に独立戦争を戦った元日本軍の将兵は1~2千人いたという。

それについて1987年にアラムシャ第三副首相はこう話した。

「日本軍の軍政は良かった。…行政官の教育は徹底したものだった。原田熊吉ジャワ派遣軍司令官の熱烈な応援により、PETAが創設された。(中略)無条件降伏した後も、多数の有志将校がインドネシアの独立戦争に参加してくれた。」

 

とはいえ、さっき出てきた若いインドネシア人は戦時中の日本を良く思ってはいない。
日本によるインドネシア統治は「ロウムシャ」に代表されるような、厳しいものだったと認識している。
でも2人にとって大事なのは、80年ほど前の過去よりも現在。
いま日本の大学に通う2人は、電車やバスで静かにしているマナーの良さや、困っていると親身になって助けている親切さから日本人を大好きでいる。

独立宣言で皇紀が使われた理由は、そもそも2人ともその話が初耳だったからよく分からない。
オランダから独立するのに、西洋暦を使いたくなかったのは理解できる。あとは独立を後押ししてくれた日本に好意を思っていたからかもしれないし、都合のいい紀年法がなかったから、とりあえず便宜的に使っただけかもしれない。
そのへんの事情は分からないが、「独立宣言に皇紀を使っているから、インドネシア人は日本に感謝している!」なんて期待はしないほうがいい。
でも戦後に日本がしてきた支援などから、いまのインドネシア人は新日的だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。