日本の自慢として、「世界最古の国」をあげる人もいる。
日本が世界で最初に建国された国というのは間違いでも、現在までつづく国としてなら、日本が世界でもっとも長い歴史を持っていることは事実。
だから、ギネスも日本の天皇家を「世界最古の王家(Oldest ruling house)」として認めた。
そんな日本にとって、13世紀の元寇は最大級のピンチだった。
世界的な大帝国のモンゴルと高麗の連合国が日本を襲ってきたが、鎌倉武士の活躍や「神風」と言われる暴風雨によって、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2回とも返り討ちにされた。
特に弘安の役で元軍は当時としては世界最大規模の大艦隊を送ってきたから、これを撃退したご先祖さまはみごとのひと言。
このとき日本が元に支配されていたら、いまごろ天皇家は「Oldest ruling house」の名誉を失っていただろう。
こんな元寇について日本に興味のあるドイツ人に話して、ドイツでもこんな戦いがあったか聞くと彼はこんなことを言う。
「ドイツは日本と違って大陸にある国だから、昔から攻めたり攻め込まれたりしていた。でも、あえて言うなら“トイトブルク森の戦い”かな。」
日本征服に失敗した元の皇帝・フビライハン
「トイトブルク森の戦い」があったのは約2000年前。
日本でいうなら、弥生人が森でドングリを拾っていたころの出来事だ。
このころいまのドイツにはゲルマン人が住んでいて、これがドイツを表す英語「Germany(ジャーマニー)」の由来になる。
そんなゲルマニア(ドイツ)へ紀元9年に、ウァルスを総司令官とするローマ帝国軍が攻めてくる。
それをゲルマン諸部族のリーダーだったアルミニウスが迎え撃つ。
*最近では「トイトブルクの戦い」ではなく、「ウァルスの戦い」と言われることもある。
ローマ帝国 VS ゲルマン人、ウァルス対アルミニウスの戦いは「地の利」を有効利用したゲルマン人の勝ち。
「トイトブルク森の戦い」の説明ついて、日本語のウィキベテアと英語版ではデータなどの記述が違う。
海外の出来事は英語版のほうが正しいと思うので、ここでは後者を参考にした。
強大なローマ帝国軍を相手に、平地で正面から対決してゲルマン人が勝てるはずない。
そこでアルミテニウスらはトイトブルグの森に潜んでいて、ローマ軍をうまくここに誘い込み、行軍が伸びきったところで攻撃をしかけた。
ローマ軍はこれでダメージを受けたうえに、激しい雨のために軍は組織的に機能することもできなかった。
なんとか態勢を整えようとするが、繰り返しゲルマン人の攻撃を受けてそれも失敗して、もはや戦いではなくなり、ローマ帝国軍は一方的に虐殺される。
ウァルスを含めて多くの兵は自殺し、ローマ側の死傷者は15,000〜20,000人になったという。
生き残っても奴隷にされたり、ゲルマン人の宗教儀式の生贄として殺されたというから生き地獄だ。
この大敗北を聞いたローマ皇帝・アウグストゥスは宮殿の壁に自分の頭をぶつけて、「ウァルスよ、我が軍団を返せ!」と叫んだという。
こんな惨敗を受けたら、ローマ帝国はゲルマニア(ゲルマン人の住む土地)征服の野望を捨てるしかない。
ローマ帝国の拡大を食い止めたこの戦いは、ヨーロッパ史におけるもっとも重要な出来事のひとつとされる。
The outcome of this battle dissuaded the Romans from their ambition of conquering Germania, and is thus considered one of the most important events in European history.
日本史でいえば元寇はもっとも重要な戦いのひとつ。
ローマ帝国という外敵から、自分たちの土地を守った「トイトブルグの森の戦い」は、モンゴル帝国から祖国を守った元寇とたしかに重なる。
ということはアウグストゥスはフビライハンで、アルミニウスは北条時宗だ。
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