外国人の見方や接し方。”同じ地球市民”より、違いや民族性が大事。

 

バックパッカーという言葉を知ってますか?

パックツアーに参加するのではなくて、荷物をせおって自分の力だけで海外を旅する。
イメージとしてはそんな感じ。

そんなバックパッカーの旅をしていて、「地球市民」に目覚めたことがある。
ようするに、「日本」という国をこえて「地球の人になる」ということ。

外国を旅をして、同じように思った人は他にもいる。
例えば、「Compathy Magazine」という旅行サイトにはこんな記事があった。

地球市民になるためには条件が2つあって、客観的に物事を見る、考えるということと「日本人である」ことを忘れるということです。わたしがなぜ「地球市民」を目指そうと思ったのか。それには旅で得た経験が、大きく関係しています。

居場所を求めた私に、旅が教えてくれた「地球はひとつ」ということ

実際、海外に行っていろいろな民族や宗教の人たちとご飯を食べたり話をしたりしていると、日本という国を意識しなくなる。
そんな経験をとおして、「日本人と外国人は、何がちがうのか?人はみな同じじゃないか!」と思うようになった。

 

たしかに言葉はちがう。
だからその点では不自由する。

でも、細かいちがいはあるけれど、後は変わらない。
世界中の人が日本人と同じように、家族や友だちと過ごしたり自分が好きなことをしたりして、日々すごしている。
みんなが家族の健康や平和を願って、楽しく生活している。

すべては、同じ地球に住む同じ人間。
「日本」というくくりにどんな意味があるのか?

そんなことを思ってました。
20代までは。

 

いきなりですが、質問です。
今から3年前、イギリスでおこなわれた住民投票を知ってますか?

 

それが、「スコットランドはイギリスから独立するべきか?それとも、イギリスにいるべきか?」ということを問う住民投票。
2014年9月18日に、この住民投票がおこなわれた。

 

上の緑の部分がスコットランド
(ウィキペディアから)

 

今、スコットランドはイギリス(U.K)の一部だけど、もともとは独立国だった。
1034年に「スコットランド王国」が生まれている。

*1034年は日本だと平安時代。
藤原道長が摂政となって「摂関(せっかん)政治」をはじめたころ(1016年)。
藤原道長とスコットランドはセットでおぼえよう。

 

でも、1707年にスコットランド王国はイングランド王国に併合(へいごう)されて、1つの国になる。
イングランドに吸収されて、スコットランドという国は地球上から消えてしまった。

この記述は、外務省のホームページにある「スコットランドとは」から

かつては「スコットランド王国」として独立したひとつの国でしたが,1707年にスコットランド王国とイングランド王国が合併し「グレートブリテン連合王国」が成立。

ちなみに、このとき日本は江戸時代。
1709年に新井白石が正徳(しょとく)の治をおこなう。
1716年には、徳川吉宗が「享保(きょうほう)の改革」をおこなった。

 

つまり、平安時代から江戸時代の約700年間、スコットランドは独立国だったということ。
その民族の記憶は、今でもスコットランドの人たちのなかにある。

それで、スコットランドが消滅してから約400年後の2014年に住民投票をおこなって、改めてスコットランド人の意思を確認した。

「スコットランドはイギリスから分離独立するべきか?」

この住民投票では、独立に「賛成」か「反対」かを答えなければいけなかった。
だから、「どちらでもない」という態度はダメ。
必ず自分の考えをしめす必要があった。

この住民投票の結果は、反対が賛成を上回った。
ということで、スコットランドはイギリスから分離独立することもなかった。

 

 

以前の地球市民という立場からしたら、これが不思議。

「なんでスコットランド人は、イギリスから独立して、自分たちの国がほしいのか?なんで、国境という壁をつくろうとするのか?」

イングランドとスコットランドは400年も同じ国としてやってきていて、言葉も価値観や社会制度も近い。
同じじゃないけど、外国に比べれば似ている。

なんで、「同じ地球に住む地球市民」ではいけないのか?
分離独立を求めるというのは、先ほどの地球市民の考え方とは合わない。
母国が地球なら、独立する必要がない。

 

でも、この民族性というのは実はとても大事。
外国人を見るときやつき合うときには、相手の民族性を尊重した方がいい。

「日本人も外国人も同じ地球人だ!」と思って外国人とつき合っていると、「ちがい」に直面したときにショックを受けるかもしれない。

例えば同じアメリカ国民でも、ユダヤ人と他のアメリカ人とではこれくらい違う。

有名なユダヤ系哲学者のヤコブ・クラッツキンは次のように述べている。

「―われわれはユダヤ人たることをはばからない。アメリカに住む外国人なのであり、そうした身分を隠し続けていきたいと思う。われわれとあなた方アメリカ人との間には、大きなへだたりがある。それは橋でつなぐことができないほどかけはなれたものである。あなた方の精神はわれわれには異質であり、あなた方の神話、伝説、風俗、習慣、伝統、そして休日―これらすべて、われわれにとって異質なものである」。

「民族とは何か 山本七平(徳間書店)」

 

このクラッツキンというユダヤ人は、アメリカに住んで英語を話す完全なアメリカ国民だ。
「あなた方の精神はわれわれには異質であり」とは言っても、ユダヤ教徒とキリスト教徒は、同じ聖書(旧約聖書)を聖典にしている。

日本人のボクからしたら、アメリカに住んでいるユダヤ人も他のアメリカ人も「同じ」にしか見えない。

 

ヨーロッパ人の区別もつかない。
以前、タイで会ったフランス人のおばちゃんにこんなことを言ってしまった。

「ボクには、ヨーロッパ人のちがいがわからない。フランス人もドイツ人もギリシャ人も同じように見える」

そしたら、そのフランス人のおばちゃんににらまれた。
「地球市民的」には、この言い方は間違ってはいない。
でも、それぞれの国の独自性や民族性を無視したとても失礼な言い方だ。

 

自業自得。
自分がしたことはいつか自分に返ってくる。

カンボジアを旅行中、アメリカ人からこんなことを言われた。

「日本人も韓国人も中国人も同じじゃないか。何がちがうんだ?なんで歴史や領土で争っているんだ?」

これには、日本人・韓国人・中国人から「いやいや、ちょっと待て」という声が出るはず。

これを聞いたときは正直、ムッとした。
でも、彼が言っていることはボクがフランス人に言ったこととほとんど同じ。
それぞれの国の歴史や民族性を無視している。
これはやっぱり失礼だ。

「自分は日本という国をこえて、地球の人、地球市民になる」なんて考えていたくせに、「韓国人や中国人といっしょにされると腹が立つ」というのでは、もう地球市民である資格はない。

韓国人や中国人からしても、「日本と同じにするな!」と言うだろう。

いろいろな外国人とつき合っていると、「同じ地球人」という部分よりもちがいを感じる。
1つ1つの国には歴史があって、そこに住む人たちには民族性がある。

クルド人やカタルーニャ州の人たちが、分離独立を求める住民投票をおこなったことを見てもそう思う。

外国人に対する見方やつき合い方では、日本人とのちがいや独自性を大事にしたほうがいい。
でないとボクのように、にらまれてしまう。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。