クルド人って、知ってますか?
クルド人は「国のない民」として世界的に知られている民族。
彼らは2017年に、独立するかどうかを問う住民投票をおこなって、世界中の注目をあびた。
これからも、ニュースで彼らのことを聞く機会はきっとある。
ということで今回は、クルド人と独立問題について書いていこうと思う。
クルド人について、高校世界史ではこう習う。
クルド人
インド=ヨーロッパ語系のクルド語を話す人々。トルコ・イラン・イラクにまたがる地域に住み、イスラーム教徒であるが、歴史的にほとんど民族国家を持つことがなかった。現在の人口は2000万を越えると言われる。
「世界史用語集 (山川出版)」
クルド人の数は2000万~3000万とみられていて、オーストラリアの人口(約2,400万人)よりも多い。
でも、彼らには国がないため、トルコやイラクなど複数の国で「少数民族」という立場にある。それでクルド人は「国を持たない世界最大の民族」と言われている。
母国のないクルド人は、トルコ東部、シリアとのイラク北部、・イランの東部のあたりに集中的に住んでいる。
いまのクルド(独立)問題は、ヨーロッパにも責任がある。
第一次世界大戦のときに、フランス・イギリス・ロシアが現地に住む人たちの意向をガン無視し、自分たちの都合で国境を定めてしまったことが問題の大きな原因となったのだ。
「自分たちの国がほしい」というのがクルド人の悲願、独立を求める動きはずっと前からあったが、トルコやイラクなどにもそれなりの理由があって、分離独立は認めていない。
独立を要求するクルド人と、それを許さない人(国)の間で起きている対立がいわゆる「クルド問題」だ。
「クルド人もイスラーム教徒なんだから、独立しないでトルコやイラクにいればいい」
「同じ地球人なんだから、国や国境は関係ない」
という理屈はクルド人には通じない。
日本人には「国を失った」という歴史がない。
だから、少数民族が母国を求める気持ちは分かりにくいと思う。
ちなみに、日本にも2000人ほどの在日クルド人がいる。
特に埼玉県蕨市や川口市を中心とした埼玉県南部には、1990年代にトルコ政府の迫害を恐れたクルド人たちが友人を頼って来日し、トルコ国籍のクルド人の難民約1300人が集住している。
2017年に、イラクにいるクルド人が独立するかどうかを問う住民投票をおこなった結果、9割以上が独立に賛成した。しかし、クルド側は独立宣言をしてはいない。
一方的に独立を宣言したら、イラクと戦争になるかもしれない。
「住民のほんとどは独立をしたがっている」という民意を背景に、クルド側はイラク中央政府と話し合いで独立問題を解決しようとしているが、これは本当にむずかしい。
イラク側はクルド人の言うことに耳をかたむけないだろう。
国際社会もこの住民投票に反対していた。
クルド人が独立を問う住民投票をおこなったら、イラクという国が分裂してしまう可能性につながる。
そうなったらこの地域は大混乱し、不安定になってしまう。
それでイラクはもちろん、トルコやアメリカなども住民投票には反対していた。
とくにトルコの場合、イラクと同じように国内にたくさんのクルド人が住んでいるから、これに影響を受けてトルコからの独立を求める動きが出てきてしまう。
トルコはクルド人独立を絶対に認めようとしない。
イラクやトルコなど中東の国は、クルド人国家の建設を認めない。
国際社会もクルド人の独立を支持していない。
NHKの「解説委員室」から。
今回の住民投票、結果として、イラクのクルド人の将来にプラスになるかどうかは疑問です。
国連や主要国から支持する声はほとんどなく、タイミングが悪すぎるとも指摘されています。
でも、住民投票で「自分たちの国を持ちたい」という圧倒的な民意はしめされた。
クルド人側がこの民衆の願いを無視することもできない。
ということで、これからもクルド人の動きは世界の注目を集めるはず。
クルド人には数少ない味方がいる。それがイスラエルだ。
イスラエルは住民投票の前に、「クルド人支持」の姿勢をハッキリ打ち出した。
毎日新聞の記事(2017年9月15日)から。
住民投票について、イスラエルのネタニヤフ首相は「支持する」との立場を明らかにした。
クルド人独立住民投票 イスラエル首相「支持する」
こんな国は世界の例外。
イスラエルは「住民投票を公式に支持した初めての国」と言われる。
なんでイスラエルはクルド人の独立を支持したのか?
それには、ユダヤ人の「ディアスポラ」と「ホロコースト(大量虐殺)」の影響があると思う。
これらは日本の歴史にはなかったもの。
「ディアスポラ」や「ホロコースト(大量虐殺)」を知ると、日本が本当に恵まれた地理的位置にいることがわかる。
次回、そのことを書いていきます。
おまけ
世界史でもっとも有名なクルド人にサラディンがいる。
サラディン 1138~93
アイユーブ朝の建国者(在位1169~93)。クルド人武将。
ファーティマ朝の宰相となり、次いで自らが支配者となって1169年にアイユーブ朝をおこした。対十字軍戦を遂行して87年にイェルサレムを回復し、第3次十字軍とたたかった際には、その勇猛さ・公平さと博愛をキリスト教徒に称えられた。「世界史用語集 (山川出版)」
サラディンはアラブ・イスラーム世界最大の英雄で、敵であるキリスト教徒からも称賛された珍しい人物。
十字軍のたたかいでは、「リチャード1世には勇気があったが、サラディンには知恵があった」と言われた。
サラディン
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