知人のトルコ人(30代・男性)はトルコの会社で働いたあと、日本の大学に留学してそのまま日本企業に就職した。トルコでピスタチオは人気で、お菓子やアイスでよく使われる。
ということで(?)、ここでは彼をそう呼ぶことにして、これからピスタチオから聞いた話を紹介しよう。
ーー日本の会社は、夏と年末年始に長い休みがある。日本にいる欧米人は冬に帰るパターンが多いけど、ピスタチオは毎年8月にトルコに戻っている。それには何か理由がある?
トルコを楽しむなら寒い冬よりも、野外BBQや海を楽しめる夏のほうがいいからね。家は夏用と冬用に2つあって、5月から10月までと、11月から4月までのサイクルで住む場所を変えている。俺には、海の近くにある『サマーハウス』のほうが居心地がいいんだ。
ーーワオ、ピスタチオは上級国民だったか。まぁ、欧米人が冬に戻るのは家族とクリスマスを過ごすため、というのが多いから、イスラム教徒には関係ないか。
ところで、そのサマーハウスの名前は「グランブルー」だったりする?
ちょっと何の話かわからない。「上級」については、社会構造が違うから何とも言えないな。日本の社会は中間層が厚くて、金持ちと貧しい人が少ない。でも、トルコではリッチな層とお金の無い層の二極化が進んでいて、中間層が少ないんだ。ぶっちゃけ、うちは金持ちゾーンの底辺にいるから、別荘くらいは買える。
ーーつまり、「大物界の小物」って感じか。話は変わって、ピスタチオがトルコに帰って、家族や友達と会った以外で嬉しかったことはなに?
それはもちろんトルコ料理で、とくにケバブだ。日本で食べたケバブはスパイスが効いてなくて、『日本風』になっていて、コレジャナイって失望した。トルコ料理にはスパイスが欠かせないけど、日本人はあまりスパイスが好きじゃないと思う。
ーー和食では素材の味を引き出すことが重視されていて、ワサビや生姜を使うことはあるけど、スパイスで味付けをすることは少ない。、クミン、サフラン、マスタード、コリアンダーの味を聞かれたら、日本人の8割は聞こえなかったフリをすると思う。
だからトルコに戻って、久しぶりに本場のケバブを食べられたのは本当に良かったよ。生き返った気がした。でも、その結果、3週間で5キロも太ったから、今は全力で戻している。
ーー外国に住むと、「母国の味」を恋しく思うのは人類共通だ。前にイスラム圏のエジプトかトルコにいた日本人が、たまに帰国するとトンカツや肉じゃがを食べまくると言っていた。
日本に住んでいて、2回その地雷を踏んでしまったよ…。

イスラム教のモスク(イスラム教徒が礼拝する場所)
ーーで、トルコでは何をした?
両親と弟と一緒に車で1週間ぐらい色々な場所を回った。各地でおいしいものを食べたり、有名なモスクでお祈りをしたりした。
ーー日本人も旅先で有名な神社仏閣があれば、そこに行って手を合わせるけど、トルコのムスリムとは絶対「ガチ度」が違う。イスラム教徒が日本を旅行すると、「礼拝スペースがほしい」ってよく言うけど、ピスタチオ的にはどう思う?
あったほうがいいけど、無くても問題はない。イスラム教徒の中でも「必ず1日に5回祈らないといけない」っていうガチ勢もいれば、俺みたいに「後でホテルの部屋で祈ればいいか」って気楽に考える人もいる。
ーートルコではお酒を飲むイスラム教徒もいるし、わりとユルめだよね。
「ユルい」って表現は微妙だけど、まあ、そんな感じだ。

トルコ系民族が建国したイスラム王朝のセルジューク朝は、11〜12世紀に存在し、今のイスラエル、イラン、イラク、トルクメニスタンの広い範囲を支配していた。

双頭の鷲は、神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)の紋章にも採用された。
※ピスタチオが首都アンカラの博物館を訪れたとき、スマホで展示品の写真を撮った。それを見ながら話した内容はがこちら。
ーーこの鷲(ワシ)のマークはなに? 大正製薬とトルコって何か関係あったっけ?
ロシアはトルコと日本の共通の敵だったから、『征露(正露)丸』はトルコでも人気だったって、そんなことあるかーい。
この「双頭の鷲」はセルジューク朝のシンボルなんだ。もともとトルコ民族は中央アジアにいて、イスラム化する前は、天の神を崇拝するテングリ信仰があった。力強い鷲は「天の使者」と見なされていたんじゃないかな?」
ーーその王朝は世界史で習った記憶がある。「双頭の鷲」というと、個人的には神聖ローマ帝国(ドイツ)を思い出すけど、セルジューク朝と関係があったというのは意外だな。
えっ? ドイツもこれをシンボルに使っていたんだ。それは初耳。
詳しい情報は「Double-headed eagle」を参照のこと。
ヨーロッパで使われる紋章のデザインには、龍やライオン、ワシなど力強い動物が多い。いっぽう、日本では植物や蝶など、強さとは関係なさそうなものが家紋に選ばれることが多い。文化が違うということだろう。
ーーこの石像には動物の像が彫られている。これは一体なに?
これは水を飲む設備だ。セルジューク時代、街道を歩く人の渇きをいやすために作られたものだ。
ーーセルジューク朝ってイスラム王朝だったよね? 偶像崇拝は厳禁されているのに、生き物の像を飾りにしていいわけ?
そこが、サウジアラビアなどの厳格なイスラム教国家と違うところだ。トルコ民族はもともと中央アジアにいて、別の信仰を持っていたから、アラビア半島にある国よりもイスラム教に対して真面目じゃなかったんだろうな。
ーーさっきも言ったけど、トルコは良い意味で、現在でもイスラム教がユルい。
それはケマル・アタテュルクの判断が大きいんだ。1923年に彼が今のトルコ共和国を建国したとき、オスマン帝国のような宗教国家を否定して、政治と宗教を切り離したんだ(ライクリッキ)。
ーーそこが日本と違う。ヨーロッパの国々もカトリックを国教とする「宗教国家」だったけど、だんだん政教分離が進んだ。でも、日本にはそんな歴史はなかった。
宗教に熱心すぎるのも問題だから、俺には日本ぐらい宗教色が薄い国が住みやすい。
8世紀、聖武天皇が仏教を保護して、東大寺に大仏を建立したころは、仏教が日本の国家宗教だったと言える。それは例外的で、トルコや欧州に比べたら、日本では政治と宗教が分かれていた。

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