日本人の大好物のひとつに「古代エジプト」がある。
日本の美術展の歴史で、総入場者数が1位を記録した展覧会は、1965年に開催された「ツタンカーメン展」で、約300万人を集めた。いま静岡県立美術館で「特別展 古代エジプト」が開催中で、5月1日には来場者が1万人を超えたとのこと。地方都市でこれだけの集客力があるのはすごい。
【日本歴代1位】古代エジプト、ツタンカーメン王とファラオの呪い
ということで、今回は現代のエジプト社会について書いていこう。
SNSを見ていたら、アメリカに住んでいるエジプト人女性が、現地で受けたカルチャーショックを紹介していた。
そのひとつは、レストランのメニューにカロリーが書いてあったこと。彼女にとっては、値段がわかれば十分で、カロリー表示は必要ない。というかイラナイ。これがあるせいで、もう楽しくデザートを食べられなくなったと文句を言う。
日本のレストランにもカロリー表示はよくあるのから、この文化はアメリカと似ている。でも、彼女が挙げた次のことに関しては、日本の文化や価値観はアメリカよりもエジプトに近い。
「Heard people going at it…」
「ソレをしている」というのは、アメリカの人たちが公共の場所でキスをすることだった。
アメリカでは、多くの人が行き交う場所で平気でキスをすることがあって、まったく珍しくない。しかし、彼女がエジプトで見たキスは映画やドラマなどの二次元の世界だけで、両親がキスをしているのを見たこともない。だから、彼女はアメリカで、生まれて初めて他人がキスをしているのを見て、「私の受けた衝撃は想像できないでしょう(you cannot imagine my shock)」と書いている。
また、あるホテルではキスをしている姿だけでなく、音までも聞こえてきたから、彼女は思わず立ち止まって見てしまい、ものすごく恥ずかしくなってその場を去った。
アメリカでの生活が長くなって、彼女もいろいろなことに慣れたから、もう突然キスシーンを見ても驚かない。でも、できることなら見たくないという。
1979年、東ドイツとソ連の最高指導者が会ったとき、あいさつとしてキスをした。当時、同じ価値観を共有する社会主義国家の指導者同士は、特別な連帯感を示すために唇を重ねることがあった。(Socialist fraternal kiss )
同性同士のキスはアメリカでは一般的ではないと思う。
明治時代、アメリカの動物学者モースが来日し、東京帝国大学(現在の東京大学)の教授をしていた。彼が日本での経験を記した『日本その日その日』では、日米の文化のこんな違いが指摘されている。
「日本人にとっては、米国人なり英国人なりが、停車場で、細君に別れの接吻をしている位、粗野で、行儀の悪い光景はない。これは、我々としては、愛情をこめた袂別か歓迎か以上には出ないのである。」
この時代の「停車場」は鉄道駅を指すだろう。
ボクの個人的な感覚だが、日本人の場合、戦場へ向かうような「最後の別れ」の時に恋人や夫婦がキスを交わすことは理解できる。でも、数日出かける程度の別れで、駅でキスをするのはありえない。
現代の日本人でも、多くの乗客が行き交う駅で夫や妻がキスをしようとしてきたら、きっと戸惑う。その後、電車の中で価値観の違いを感じて少し不安になるかもしれない。明治時代の日本人なら、人前でキスをする行為が粗野で行儀の悪い行為に見えたのも当然だ。
しかし、アメリカ人にとっては、キスは軽いもので、愛情を込めた別れや歓迎のあいさつ以上の意味はない。
この保守的な価値観は、日本人はアメリカ人よりもエジプト人に近い。
しかし、イスラム教を国教とする国と比べたら、日本は男女関係について解放的だから、キスに対する「耐性」はできている。空港やホテルのロビーなどで、抱き合ってキスをしている光景を見ても、エジプト人のような強いショックを受けることはなく、「マナー違反だ」と不快に感じてその場を通り過ぎるだろう。アメリカの生活に慣れたエジプト人と同じ感覚と思われる。
コメント
コメント一覧 (4件)
> 1979年、東ドイツとソ連の最高指導者が会ったとき、あいさつとしてキスをした。当時、同じ価値観を共有する社会主義国家の指導者同士は、特別な連帯感を示すために唇を重ねることがあった。(Socialist fraternal kiss )
ヨーロッパにおける「挨拶としてのキス(男性同士も含めた)」には、それとは異なるもう一つの側面もあります。それは、大陸ヨーロッパのラテン系・スラブ系民族は男性同士でも挨拶のキスをする(頬に接吻する)けれども、アングロ・サクソン系のイギリス人はしないということです。
このような習慣の違いをネタにしたのが、F.フォーサイスの小説「ジャッカルの日」(1971年)および同じ題名の映画(1973年)の結末です。暗殺者ジャッカルがフランス大統領ド・ゴールを狙撃し弾丸を発射したまさにその瞬間、大統領が受勲者へキスをするため身を屈めたことで、弾丸は間一髪で大統領をかすめて狙撃は失敗します。イギリス人だった暗殺者ジャッカルは、ラテン系であるフランス人には「男性同士でもキスをする習慣がある」ことを知らなかった、そのため狙撃に失敗したという訳です。
もしも暗殺者がゴルゴ13であったなら、おそらくその辺りも抜かりなく調べ上げ狙撃を見事に成功させたでしょうけどね。
>ラテン系・スラブ系民族は男性同士でも挨拶のキスをする(頬に接吻する)けれども、アングロ・サクソン系のイギリス人はしないということです。
へ〜、そんな習慣の違いがあったんですね。お知らせいただき、ありがとうございます。
そう言えばもう一つ、ハリウッド映画で男性同士が唇を重ねて接吻するシーンを思い出しました。
それは、「ゴッドファーザー Part 2」です。父親の後継者としてマフィア一家のボスとなったマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)が、父親を裏切ってキューバへ逃亡した兄のフレドー(ジョン・カザール)に最後の別れを告げるシーンです。「明日の飛行機でマイアミへ帰るから一緒に来てくれ。なぜ親父を裏切ったんだ? でも愛しているよ、兄さん」と言いながら、マイケルは兄のフレドーの唇に強烈なキスをしながら、裏切者の兄に対して最後の警告をするのでした。
このふるまいは、マフィア用語で「死の口づけ」と言われているそうです(本当かどうか知りませんが)。あの怖い映画の中で、とても印象的なシーンでした。
例外的かもしれませんが、イタリアにもそんな習慣があるかもしれませんね。