ことしの3月に、日本にいるリトアニア人とペテルブルグ出身のロシア人と一緒にハイキングに行ってきた。
今回の内容に関係するから、まずはぞれぞれの位置を確認しておこう。
下の地図だと北海道の左にリトアニア、上にペテルブルグがある。
ロシア人1人とリトアニア人2人を神奈川県の金時山に連れて行ったから、これからこのとき彼らから聞いた話を書いていこう。の第7弾。
いままでの記事はこちらっす。
山頂で日本のシンボルを拝んだあと一同下山。
今回登った金時山は伝説によれば、金太郎が子どものころに住んでいた山で、ここを走り回ったり熊と相撲をとったりして恐ろしいほどの怪力を手に入れ、10世紀に源頼光(よりみつ)と出会いサクセスストーリーが始まる。
天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となった。名前も坂田金時(きんとき)と改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となった
のちに酒呑童子という鬼のボスを倒せたのも、金時山でのトレーニングのおかげ。
酒呑童子と戦う源頼光とその家来。
坂田金時(金太郎)もきっとこの中にいる。
ちなみに「金平ごぼう」の金平は坂田金時の息子・金平から付けられたといわれる。
さて下山途中で、真っ二つに割れた巨大な石を発見。
これが本当に日本人らしい発想で、この巨石は金太郎がマサカリで一刀両断したと伝えられいて、いまではご神体としてしめ縄が巻かれている。
これを見て、「ヨーロッパではどうだろう?」という疑問がわいてきた。
人間を超えた力や能力の持ち主で、酒呑童子のような恐ろしいモンスターを倒すようなヒーローがいるだろうか。
どこの国でもそんな化け物退治の物語はあるだろうし、国民から広く愛される英雄もいるはずだ。ギリシャ神話のヘラクレスのような。
ロシア人はマイペースというか自己中で、勝手に一人で先に進んでしまったから、リトアニア人にそんな伝説や勇者についてたずねてみると、「いるにはいるけど、名前は忘れた」といってスマホで調べ始める。
キリスト教が伝わる前にヨーロッパであった信仰、例えばケルトの多神教や古代ギリシア・ローマの宗教などはまとめて「ペイガニズム」と呼ばれている。
ヒンドゥー教、神道、タキトゥス描く所の民族大移動前のen:Germanic paganism、カエサル描くケルトの多神教、古代ギリシア及び古代ローマの宗教がこれに属する。
このときのリトアニア人の話では、富士山をご神体として信仰する日本人の信仰はペイガニズムになる。キリスト教で山を神にするという発想はない。
この動画は、中東のイスラエルで生まれたキリスト教が伝来する様子をあらわしたもので、地中海世界からヨーロッパ北東部へと伝わっていったことが分かる。
リトアニアのあたりはキリスト教の到来が最も遅かった。
キリスト教以前、リトアニアには独自の多神教の信仰(ペイガニズム)があって、怪力を持つなんちゃら神(聞いたけど忘れた)がいたらしい。
リトアニアの文化や歴史の中で日本の金太郎に近い存在を探すと、彼ら的には古代信仰の神になる。
このへんに興味のある人はこれを読まれよ。
リトアニアがはじめ統一されてから14世紀半ば頃までは多神教の伝統に従って国家を組織していったが、それ以降はキリスト教が徐々にリトアニアに入ってくるようになる。
でも個人的にはマサカリかついで熊に乗る金太郎には、昔話や童謡の親しみやすいイメージがあるから、神様のような尊い印象があまりない。
金時山のふもとにあったエヴァンゲリオンと金太郎のコラボ・トイレ
だからペイガニズムの神と金太郎がどうしても重ならない。
でもそういえばハイキングの途中で、金太郎は金時神社(下の写真)で神として祀られていると話したから、彼らの頭には「金太郎≒神」と刻まれたかもしれない。
こんな立派な神社があるし、金太郎が真っ二つにしたという巨石はご神体になっているから、神と言ってもたしかに間違いではない。
でも、なんでいきなり、リトアニアにキリスト教が伝わる前の古代に話が飛ぶのか?
それを聞いたら、彼らはこんな話をする。
キリスト教が伝わると、リトアニアにあった多神教は邪教として一掃されてしまい、いまではほとんど残っていない。
キリスト教は一神教でゴッド以外の神は絶対に許されないから、ペイガニズムの時代にいた神やそれに近い存在はすべて排除されてしまい、その後もそういう存在は認められなかったという。
人間の敵である悪魔を退けられるのは神かキリスト教の聖人ぐらいだから、金太郎のようなスーパーパワーで化け物を倒して、人びとから尊敬されるような存在はキリスト教としてはNG。
中世ヨーロッパの考え方では、この世に存在していいのは聖書に書いてあること・ものだけだから、キリスト教と金太郎のような神に近い存在は矛盾しているだろうと言う。
金太郎をキリスト教の教えからとらえるとどうなるか?
そんなこと考えたことがなかったけれど、そう言われるとたしかにマズいかもしれない。
このあとロシア人にも聞いてみたけど、ロシアで金太郎のような存在を探すと、やっぱりキリスト教前の古代信仰の神ぐらいしか思い当たらないと言う。
ネットで検索するとロシアの叙事詩に「イリヤー・ムーロメツ」という英雄がいて、これは日本の金太郎に近いようだ。
でもキリスト教(ロシア正教)と無縁ではない。
老人たちはイリヤーに、正教のため、国を乱す者と戦うため、弱い者を助けるためにこの力を使うことを約束させて去った。(中略)ブルイニの森では、人々に恐れられていた盗賊、怪鳥ソロウェイの右目を射抜き、これを捕らえた。
さて以上は彼らの個人的な意見だから、専門家から見たらツッコミどころがあるかもしれないし、英検2級のボクの英語力でどこまで正確に情報交換できたか不安な部分もある。
その点はご承知おきを。
でもそうなると、一寸法師や桃太郎もキリスト教の考え方からしたらどうなるんだろう。
神から人を超えた力を与えられてこの世に送りこまれて、人びとを苦しめる悪を倒すという「すべては神の意思」という設定ならOKなのか。
それにしてもヨーロッパにおけるキリスト教の影響力や支配力はすさまじい。
ヨーロッパのキリスト教とペイガニズムを日本で例えるなら仏教と神道になる。
仏教はインドで生まれた世界宗教なのに対して、神道は日本で生まれた民族宗教でこの2つはまったくの別もの。
でも日本では、ヨーロッパのようにキリスト教がそれまであった信仰を徹底的に排除することはなく、古代信仰の神道と外来宗教の仏教が融合して「神仏習合」という独特の考え方が生まれた。
時代が変わっても宗教心は大きくぶれず、日本人はいまでも神仏習合のままで神様も仏様も同時に同じぐらい尊重する。
だから神社に行ったら神様に二礼二拍手一礼、お寺に行ったら仏様に合掌するのだ。
これはペイガニズムとキリスト教を両立させて同時に信仰するようなものだから、見方によっては矛盾のかたまりかも。
日本人は大らかな信仰をしているから、お寺と神社の違いが分からなかったり神仏習合を不思議に感じる外国人も多い。
もし神仏習合という独自の信仰スタイルがなかったら、日本の文化はいまより退屈なものになっていただろう。
こちらの記事もいかがですか?
【欧州と日本の違い】神道が仏教に“ハイジャック”されなかった
日本人のおもてなし“失敗例”。外国の文化や価値観を無視するな。
この記事の途中で紹介されている動画:
>中東のイスラエルで生まれたキリスト教が伝来する様子をあらわしたもので、地中海世界からヨーロッパ北東部へと伝わっていったことが分かる。
なかなか面白かったです。
あの動画の中にも出てきましたが、一旦キリスト教が広がった地域に対して、そのキリスト教を大規模に駆逐(?)するのに成功した歴史的事例は一つしかないですね。それはイスラム教の普及によるものです。
もう少しで、キリスト教を撲滅するのに成功しそうだったのがソ連の「共産主義」ですが、これは途中で失敗して、ロシアは昔のように再びキリスト教に「占拠」されてしまいました。またある意味、中華人民共和国でも、共産主義がキリスト教(をはじめとする全ての宗教)への感染を防止するべく戦っているのですが、元々中国にはキリスト教が普及した歴史がないですから、「駆逐」とまでは言えないかな。
なお、日本国は、芥川龍之介(だったか?)も喝破している通り、「作り変える力」によりキリスト教を撃退してしまったと言えるでしょう。
ちょっと調べなおしてみたら、やはり芥川龍之介作品「神神の微笑」に出てくる「造り変える力」でした。
この作品、「蜘蛛の糸」と並んで、芥川龍之介による日本人の宗教観・文明観を描き出した傑作だと思います。
少なくとも私自身は、芥川龍之介が言うところの「この国の神神」に従う者であると、そう認めざるを得ないです。どれほど語学を習得しようが、外国人の考え方を理解しようが、やはり日本人以外の何者にもなれません。
「神神の微笑」は前に読んだ記憶があります。
「造り変える力」という言葉は忘れていましたが。
文化も宗教も日本人は自分たちに合ったものに作り変えてしまいますね。この力はすごい。