ナチスによる仏支配→逆転→パリ解放で始まる市民のリンチ

 

1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦がぼっ発。
これを受けて英仏はすぐに宣戦布告を行ない、フランス・ドイツの国境地帯に軍隊を配備しドイツ軍を迎え撃つ体制を整えた。
でもドイツ軍はポーランドでの戦闘に集中していて、国境地帯にはあまり兵力を展開せず。
英仏軍は圧倒的な兵力差で優位に立っていて、このとき攻め込んでいればおそらく勝利は間違いなかったなのに、それをしなかった。
両軍ともほとんど向かい合っているだけで時間だけが過ぎていき、しだいに両軍兵士のやる気もなくなっていく。
すると英仏・独の兵士たちがタバコやお菓子を相手にプレゼントするとか、やることがなくて日向ぼっこをするとか、最前線にもかかわらず緊張感はゼロで、「まやかし戦争(奇妙な戦争)」と言われる状態になる。

でも翌40年5月、ホンキになったドイツ軍が攻撃を開始すると、戦車や航空機を使った電撃戦によって英仏軍を次々と撃破し、たった1ヶ月でパリを陥落させる。
英仏軍があっという間に負けた原因は「ナチス・ドイツのフランス侵攻」で確認されたし。
そして1940年のきょう6月14日、ドイツ軍がパリにやってきて、ナチス=ドイツによるフランス支配が始まった。

ナチスの占領下、フランス人は「二級国民」として扱われ、食糧の配給はドイツ人の半分、肉は3分の1以下というぐあい。
市民は日常生活を送ることはできたが、フランス国旗の掲揚は禁じられ、反ナチスのフランス人はゲシュタポ(国家秘密警察)に摘発され、パリ16区にあったフフランスゲシュタポ本部では毎晩のように悲鳴が聞こえてきたという。
ナチス・ドイツによるフランス占領

 

パリがダークサイドへ落ちてから4年後の1944年6月6日(Dデー)、連合軍によるノルマンディー上陸作戦が始まると、ようやく悪夢の終わりも始まった。
ノルマンディー上陸からパリ解放までの作戦全体は「アインズ・ウール・ゴウン」じゃなくて、「オーヴァーロード作戦」という。

 

オーヴァーロード作戦では200万人の連合国兵士が動員され、人類史上最大規模の上陸作戦が展開された。

 

連合軍は各地でドイツ軍を撃破しながら進軍していき、「パリの失陥はフランスの失陥であり、ドイツの敗勢の象徴とみなされる」とヒトラーが考えていたパリを8月25日に制圧、解放した。

正午、エッフェル塔の頂上にシーツで作ったトリコロールが掲げられた。この旗を掲げたのは、1940年6月30日のパリ陥落の日に、ハーケンクロイツ旗を掲げるため、トリコロールをおろすことを命じられた消防士であった。

パリの解放

 

パリへ入城してきた連合国兵士には、パリ市民によるシャンパンやワインのプレゼント、それと抱擁やキスの熱烈大歓迎が待っていた。
そして今度は、ゲシュタポ本部で悲鳴を上げていた反ドイツの人たちのターン。

ナチス=ドイツに協力していたフランス人の”狩り”が始まって、対象者は暴行されたり殺された。
ドイツ軍将兵の愛人で性的関係をもっていたフランス人女性はパリ市民に捕まり、髪の毛を丸刈りにされたり、裸にされてハーケンクロイツを書かれるといったリンチを受けてさらし者になる。
今は昔の話。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。