11月15日、この日は英国と日本の歴史でこんな出来事があった。
1605年、ガイ・フォークスらが国王ジェームズ1世を殺害しようとしたが、直前にバレて未遂に終わった。
1903年、幸徳秋水らが設立した平民社から『平民新聞』が発刊された。
ガイ・フォークスと幸徳秋水に共通するキーワードは「大逆(たいぎゃく)事件」。
「大逆」を「オオサガ」と読めば、90~100歳まで生きる海水魚のことを指すが、「タイギャク」と読めば、君主の暗殺を意味する。
日本では天皇を殺害したり、その計画を立てたりすることを「大逆事件」と呼び、海外で起きた同じような事件も同様に呼ばれていた。これから、英国と日本で起きた有名な大逆事件について書いていこう。
16世紀、ヘンリー8世は妻と離婚して別の女性と結婚するため、カトリック教会から離脱し、プロテスタント系の英国国教会を設立した。
このあと英国では、カトリック教徒の立場は弱くなり、彼らは迫害されるようになる。
カトリック教徒だったガイ・フォークスらは、ジェームズ1世に対して大きな不満と恨みを持っていて、迫害をやめさせるために国王を殺害し、カトリックの王を即位させようと考えた。
彼らは大量の火薬を爆発させて、ジェームズ1世とその側近を殺害しようとしたが、事前にその情報が漏れてしまう。
実行前日、ウェストミンスター宮殿を捜査したところ、火薬を入れた30以上の樽とガイ・フォークスが見つかり、彼はその場で逮捕された(火薬陰謀事件)。
英国では、王や皇帝を殺そうとすることは最高レベルの重罪とされ、犯人は簡単に死ぬことは許されななかった。この大逆事件によって、フォークスは「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」という最も残酷な刑で殺害された。

火薬陰謀事件が見つかり、逮捕されるガイ・フォークス

「首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑」で処刑される英国の貴族
6世紀の崇峻(すしゅん)天皇は日本で唯一、臣下に暗殺された天皇という不名誉な記録を持っている。
これとは違い、一般人が天皇を暗殺しようとした大逆事件は、1910年から32年までの間に4回も起きた。その中でも有名なのが、幸徳秋水による「幸徳事件」で、この事件が一般的に「大逆事件」と呼ばれている。
1910年、明治天皇を殺害するために爆弾を製造し、爆破実験をしていた社会主義者の宮下太吉が警察に捕まった。
この「明科(あかしな)事件」をきっかけに捜査が拡大し、幸徳秋水を含めて多くの社会主義者が、明治天皇の暗殺計画に関与していたとして逮捕された。彼らには大逆罪が適用され、死刑にされた人数は10人を超えた。
しかし、この事件では、暗殺計画があったことは事実だが、幸徳秋水らが本当に関与していたかは不明。天皇暗殺を口実に、社会主義者を弾圧したとも言われている(幸徳事件)。
明治日本は近代国家になっていたため、幸徳秋水らは一般的な処刑で済んだ。江戸時代なら、由井正雪のように母親まで磔(はりつけ)にされていただろう。

幸徳秋水
日本でもイギリスでも、大逆事件は絶対に許されない重罪だが、それに対する考え方は大きく異なる。イギリスでは現代でも、ガイ・フォークスらによる国王暗殺未遂を祝うイベントが行われているのだ。
日本人なら、「天皇暗殺が失敗した。よし、お祝いだ!」というアイディアは出てこない。次回、この日英の文化の違いについて書いていこう。

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