11月9日は、フランス革命中の1799年にナポレオンが軍を率いてクーデターを起こした日。結果的にみると、フランス革命によって国王が処刑され、皇帝が誕生した。これから、そうなるに至った歴史を書いていこう。

「恐怖時代」をあらわす絵
フランスでは、国民が苦しい生活をしている一方で、王や貴族、キリスト教の聖職者などの特権階級は税金を使ってゴージャスな暮らしを楽しんでいた。
そんな不公平な社会に民衆の不満がついに爆発。
1789年に革命がはじまり、1793年にはフランス社会の頂点にいた国王ルイ16世が公開処刑され、革命は終了した…と、そう簡単にはいかなかった。千年以上つづいた王政が廃止され、フランス政治は大混乱におちいる。
不公平社会の「ラスボス」が倒された後、ロベスピエールが実権を握ると、彼は容赦なく反対派の首をギロチンで切断する「恐怖政治」をおこなった。
パリだけで2600人以上、フランス全土では16000人以上が処刑された。このほかにも裁判なしで処刑されたり、獄死した人は10000人以上にのぼるから、この期間に亡くなった人は30000人に達するかもしれない(Reign of Terror)。
この恐怖政治(La Terreur)からフランス語の「terrorisme」が生まれ、英語の「テロリズム」の語源となった。
足利義政の時代は「万人恐怖」と言われたが、ロベスピエールが引き起こした恐怖は別次元だ。

ナポレオン1世
この恐怖に耐えきれなかった人たちが、「やられる前にやってしまえ」と1794年にクーデターを起こし、ロベスピエールらを処刑して権力を握った(テルミドール9日のクーデター)。
その後、5人の総裁で政府を構成する総裁政府が誕生した。政治権力を5人の総裁に分散することで独裁を防ごうとしたが、結局これはうまく機能しなかった。
1799年、ナポレオンの「ブリュメール18日のクーデター」によって総裁政府は崩壊する。
※ブリュメールとはフランス革命暦で秋の「霧月」のこと。この革命はキリスト教を否定したものなので、それに基づいて作られた暦は廃止され、新しい暦が作られた。
フランス革命は1789年にはじまり、このクーデターで終わったとされている。つまり、革命の期間としては国王を処刑するまでより、その後の混乱の方が長かったのだ。
クーデターの後、同等の権限を持つ3人の統領からなる「統領政府」が樹立。
その中の1人だったナポレオンは国民投票によって第一統領となり、終身第一統領に選ばれた。名実ともにフランスの実質的な最高実力者となったナポレオンは、1804年に皇帝に即位し、ナポレオン1世となる。
フランス革命は1789年にはじまり、ルイ16世を処刑して重要なターニング・ポイントを迎え、ブリュメール18日のクーデターで終わりを迎えた。この10年にわたる混乱は、ナポレオンという英雄を生み出す土壌になったといえる。
国王という独裁者を殺害したら、ロベスピエールという「暴君」が現れ、最終的には皇帝という絶対的な権力者が誕生してフランスの政治は安定した。
10年間で「君主制→共和制→君主制」と目まぐるしく移り変わり、結局一周したのがフランス革命。

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