はじめの一言
「日本人は、総体的に、良い素質を有し、悪意がなく、交わって頗(すこぶ)る感じがよい。(フランシスコ・ザビエル 戦国時代)」「日本絶賛語録 小学館」
「タージマハルの外国人料金(インド人の約38倍)は、ぼったくりか?」を考える、の続きです。
今回の内容(インド人考え方について)
・インド人のぼったくり
・感謝しないインド人
・お金を出さないと怒り出すインド人
インド人のダンナさんと結婚して、インドに住んでいる日本人女性の「インド体験記」を読んで、共感するところがとてもあった。
特に、こういうところ。
あるとき、彼女がコルカタ(カルカッタ)の駅までタクシーで行ったときのこと。
駅に着いたら、タクシーの運ちゃんは二ルピー半(百八十五円)よこせという。本当は五十パイサ(四十円)にすぎない。(中略)しぶしぶ二ルピー半渡した。それでも彼はうれしがるどころか、「ケチ、ケチ」などと文句さえ言う。
(嫁してインドに生きる タゴール暎子)
これは1987年に発行された本だから、この体験は3~40年前のインドのことだろう。
ここにある「運ちゃん」という言葉は、今の日本では聞かない。
ちなみに、この日本語は台湾語になっていて、台湾でも「ウンチャン」と言えば通じるらしい。
ボクが5、6年前にインドを旅したときにも、この日本人女性と同じ目にあっている。
「100円でいいな?100円しか払わないからな!」と、何度も念を押してタクシーやリキシャーで駅まで行ってもらう。
で、駅に着いてお金を渡すときになって、「300円出せ!100円?それっぽちの金は受け取れない!」ということをよく言われた。
始めのころは、言うことがコロコロ変わるインド人に腹が立ってたけど、今はもう、「インド人のお約束」だと思っているから、怒ることもない。
そういうときは、100円をシートに置いてさっさとタクシーを離れることにしている。
あと、このこともインド旅でよく感じた。
インドに来てすぐ感じたことの一つは、この感謝の観念と表現が日本とはずいぶん違う点である。インド人は日本人のようにいちいちありがとうと言わない。(同書)
ボクも、インドを旅行していて、「ありがとう(サンキュー・ダンニャバード)」という言葉を聞いた記憶がない。
ホテルや買い物の支払いはもちろん、列車の中で荷物を上の棚に乗せても、「サンキュー」と言われたことがない。
インドを旅していて、「ありがとう」がないことがイヤだったけど、今では、これもインド人の文化の一部だと理解している。
だから、今は何も思わない。
でも、日本に住んでいるエリートビジネスマンのインド人からは、「サンキュー」とか「アリガト」とか聞くことはある。
あと、さっきの日本人女性のこの言葉にも共感した。
インド人と生活上、深く関わりをもってくるともっとしばしば見られる。貧しい者は、豊かな人から物を恵んでもらうことは当然だと考えている。(同書)
家族内でも、若い者や稼ぎがない者は年長の有力者が面倒を見てくれるのは当たり前、そうしなければ彼は大変な悪人だと見なされる。裕福な外国が援助してくれるのも当然(同書)
家族内のことはよく分からないけど、外国からの援助に感謝はしてなく、当然と考えているとは思う。これは、ボクがインド人と話していて感じたことで、客観的なデータはない。
でも、「貧しい者は、豊かな人から物を恵んでもらうことは当然だと考えている」というのは、インド旅行中にとてもよく感じたことで、間違いない。
同時に、インドでは、「お金持ちは、お金を出すのが当たり前」ということが常識になっているだろう。
さっきの「家族」を「インド」と置き換えてもそのまま通じると思う。
「インド内でも、若い者や稼ぎがない者は年長の有力者が面倒を見てくれるのは当たり前、そうしなければ彼は大変な悪人だと見なされる」
インドを旅していて、チップを要求されたり、物乞いから「お金をくれ」と言われたりしたことは何回もある。
「NO」と言って断ると、「何で出さないんだ!」と怒られることがある。
インド旅で、あれが嫌だった。
「大変な悪人と見なされる」というのは、本当にそのとおりだと思う。
「おまえが出して当然、お金を出さない方が悪い」という感じで、気分の良いもんじゃない。
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