昨年末、日本と中国で行われた世論調査の結果が公表され、お互いに対する思いが一致していることが分かった。
まず、中国では日本に「良くない」という印象を持っている人の割合が 87%に達していることが判明。一方、日本では中国に対し、「良くない」「どちらかといえば良くない」と答えた人の割合は 89%だった。
つまり、お互い相手に対して、国民のほとんどが「感じ悪い」と思っているのが現状だ。
しかし、タイムスリップして、奈良時代の日本と唐の関係はとてもよく、特に日本は世界的な先進国である唐にあこがれを抱いていて、遣唐使を派遣し、進んだ文化や制度を取り入れていた。
3月2日は、754年に鑑真が奈良にやって来た日。
そのころの日本では、仏教僧には納税が免除される特権が与えられていた。そのため、税を逃れるために出家し、勝手に僧になる「私度僧」が多く現れるようになる。
知人のタイ人は、日本のお坊さんが結婚や肉食ができると知って、「本当ですか? それじゃ、フェイク・モンクじゃないですか」と怒った。奈良時代の私度僧は本物の「偽者の僧」で、僧侶としての修行や活動を放棄し、好き勝手なことをして暮らしていた(例外的に真面目な私度僧もいたらしい)。
鑑真は唐の都・長安で、日本人僧の栄叡や普照らから、正しい仏教を広めてほしいと頼まれ、来日を決意。渡航は5回失敗したが、753年に6回目のチャレンジで、日本へやって来ることができた。そして、彼は戒律を伝える。
戒とは仏教徒が守るべきモラルで、生き物を殺さない、盗みをしない、道徳に反する性行為をしない、うそをつかない、酒を飲まないの「五戒」が有名だ。これは破っても罰則はない。
律とは、僧が守るべききまりのこと。これを破ると、仏教界から追放されるなどの罰を受けることがある。
鑑真は日本で初めて戒律を伝え、戒律を授ける「授戒」によって聖武天皇など多くの人を仏教徒にしたり、正式に僧になる制度を整えたりした。
*「菩薩戒」を授かれば仏教の信者になることができ、「具足戒」を授かれば僧になることができる。
戒律を守れる者だけが僧侶として認められたことで、日本仏教では規律を守ることが徹底され、堕落した私度僧は駆逐されていく。
晩年、鑑真は唐招提寺を建て、そこで仏教僧として活動し、763年にそこで息を引き取った。
日本で初めて戒律を伝えた鑑真が、タイ人は「フェイク・モンクじゃないですか」と怒った現代の日本の仏教僧を見てどう思っているのか。
参照:京都国立博物館HPの「戒律と鑑真さん」
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