【偽旗作戦】近代に日本・米国・ドイツがした“ズルい”こと

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偽旗作戦

偽旗(にせはた)作戦」とは、もともとは海賊が「降伏」を意味する白旗を掲げ、敵を油断させたうえで攻撃を仕掛ける行為を指していた。

それが後に、A国の艦船がB国の旗を掲げるなど、敵に「偽の旗」を見せ、だまして攻撃することを意味するようになった(False flag)

幕末、日本はイギリス軍にこれをやられた。

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近代史で日独米が使った偽旗作戦

現代では偽旗作戦の解釈が拡大し、ある攻撃や事故について自国の責任を回避するために、事実と違う主張をする軍事作戦を意味するようになる。

たとえば、実際には「自作自演」なのに、自国が他国から攻撃を受けたかのように偽装し、戦争を誘発する行為も偽旗作戦のひとつだ。

心の中では攻撃を仕掛けたいと思う国があったとしても、正当な理由がないのにそれをすると、国際社会で「侵略」の汚名を着せられ、自国が制裁対象になってしまうかもしれない。

それを避けるために攻撃を偽装し、実際には加害者なのに「攻撃された!」と主張し、相手に責任をなすりつけて戦いを開始する。
一般レベルでも、「被害者ムーブ」をかまして怒り出す人がいる。
世界史ではそんな出来事がいくつもあった。

近代史で日独米が使った偽旗作戦

これから紹介するのは、近代史で日独米が使った偽旗作戦の有名な事例だ。

1928年:張作霖爆殺事件
1939年:グライヴィッツ事件
1964年:トンキン湾事件

 

張 作霖(ちょう さくりん:1875年- 1928年)

張作霖爆殺事件(日本)

目的:当時、日本は満州鉄道を管理していて、満州(中国東北部)はとても重要な地域だった。
そこを支配していたのが、日本の支援を受けた張作霖だ。

しかし、張作霖はしだいに日本に従わなくなり、関東軍(満州に駐留していた日本陸軍)は彼を邪魔に感じるようになった。
そして、張作霖を「消す」ことにした。

経緯:1928年6月4日、張作霖は蒋介石との戦いをあきらめ、列車で北京から満州にある奉天へ戻ることとなった。
それを知っていた関東軍は事前に爆薬を設置し、張作霖が乗る列車を線路ごと爆破し、張はその直後に死亡する。

ただし、これは日本の意思ではない。
当時、田中義一首相は張作霖をまだ利用しようと考えていたが、関東軍が独断で暗殺計画を立案し、実行してしまったのだ。

政府や天皇にこの謀略は知らされておらず、事件後に初めて発覚した。こうして日本全体が関東軍の暴走に巻き込まれていく。
日本はこの自作自演を「中国(中華民国)のしわざだ」と主張した。

結果:この偽旗作戦は完全に裏目に出た。
父親を殺された息子の張学良は激怒し、それまで対立していた蒋介石と手を結び、反日的な中国政府側に加わった。

さらに、これを日本軍の仕業だと信じる中国人は多く、反日感情が爆発し、満州にいた日本人が襲撃されたり街から退去させられたりと、日本にとってかえって不利な状況を作り出してしまった。

 

爆殺直後の現場

1939年:グライヴィッツ事件(ドイツ)

目的:ナチス・ドイツが、隣国ポーランドに侵攻するための「正当な理由」を作るため。
ヒトラー率いるドイツはポーランドを狙っていたが、いきなり攻め込めば世界中から「侵略者」として非難されてしまう。
そこで「ポーランド側から先に手を出した」という嘘の状況をつくりあげることにした。

経緯:ドイツの工作員がポーランド軍の軍服を着て、グライヴィッツ市にあった放送局を襲撃し、反ドイツ的な放送をおこなった。
ナチスは説得力を持たせるため、一人のポーランド系の住民を殺害して遺体をラジオ局に放置し、ポーランド側がラジオ局を襲撃したように見せかけた。

結果:ヒトラーは国民に対してこれを理由にあげ、1939年9月1日、ポーランドへの侵攻を開始し、第二次世界大戦がはじまった。

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1964年:トンキン湾事件(アメリカ)

目的:ベトナム戦争にアメリカ軍が本格的に介入し、北ベトナムを攻撃する口実を作るため。
当時、ベトナムは南北に分かれて戦争をしていて、アメリカは南ベトナムを支援していた。
しかし、アメリカ政府はこの戦争に参加し、北ベトナムを直接攻撃したいと考えるようになる。
そのため、ヒトラーと同じく「正当な理由」が欲しかった。

経緯:1964年8月2日、北ベトナム沖のトンキン湾で「アメリカの軍艦が北ベトナム軍の魚雷艇から攻撃を受けた」とアメリカ政府が発表。
さらに2日後、「再び攻撃を受けた」と立て続けに報告し、「公海上で一方的に攻撃された」とアメリカ国内や世界に向けて大々的にアピールした。

結果:「攻撃されたならやり返せ」とアメリカ議会も世論も一気に戦争賛成に傾き、アメリカ軍は北ベトナムへの大規模な爆撃(北爆)を開始。
泥沼のベトナム戦争へと本格的に突入していった。

しかし後に、戦争決定の決め手となった北ベトナムによる「2回目の攻撃」は、米政府のねつ造で、実際には存在していなかったことが発覚した。

まとめ:お天道様は見ている

以上3つの事例は、偽旗作戦として世界的に知られているものだが、内容は少し異なる。
日本の張作霖爆殺事件とドイツのグライヴィッツ事件は「自作自演」で、アメリカのトンキン湾事件は「でっち上げ」だ。

しかし、結果的にすべてバッドエンドで終わっている。
やはり、悪いことをすると自分に返ってくるのだ。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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