平和を守る手段:「話し合い」と「武力」
「問題があったら、話し合って解決するべきだ」という原則は、小学校の教室から国家間の外交問題まで広く通じる。
しかし、これはオールマイティではないから、現実世界では戦争が発生している。
人類は二度の世界大戦を経験しても、武力によって問題を解決することを手放していない。
では、国際問題を解決するには、話し合いと武力のどちらが有効なのか?
それをワンステージ引き上げて、「外交努力と核抑止」ではどちらが効果的なのか?
いまの世界では、こうした手段によって平和を保とうとしている国は多い。
これについては日本も「第三者」というわけではない。
もちろん日本は核兵器を保有していないが、アメリカと同盟を結んでいて、「核の傘」に入っているからだ。
これを拡大抑止という。
つまり、日本も間接的には「核の抑止」を利用して自国の安全を守っていることになる。
とはいえ、アメリカが日本のために、そこまでのことをするかどうかは分からないが。
結論から言うと、外交と核抑止は対立するものではなく、むしろセットで考えられることが多い。以下のように、それぞれ役割が違うからだ。
核抑止:最悪の戦争を防ぐ。
外交:衝突をコントロールする。
つまり、「戦争を起こさないための土台」が核抑止で、その上で関係を調整するのが外交ということになる。
世界大戦を回避するチャンスだった「ミュンヘン会談」
先日の5月28日を振り返ると、世界の歴史ではこんな出来事があった。
1937年:イギリスでネヴィル・チェンバレンが首相に就任し、チェンバレン内閣が発足した。
1940年:第二次世界大戦の「ベルギーの戦い」で、ベルギーがナチス・ドイツに敗北し、国王レオポルド3世は無条件降伏を受け入れた。
以上の2つの間にあるのが第二次世界大戦だ。
1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、ポーランドの同盟国だったイギリスとフランスがドイツに宣戦布告したことで世界大戦がはじまった。
この人類的な悲劇には、実は回避できる大きなチャンスがあったのだ。
1938年に「ミュンヘン会談」がおこなわれ、英首相のチェンバレンと仏首相のダラディエがヒトラーの要求を受け入れ、ズデーテン地方(チェコスロバキア)がドイツに帰属することを認めた。
その代わり、ヒトラーはこれ以上の領土要求をおこなわないと署名した。
ミュンヘン会談の主導的な立場にあったチェンバレン首相は、世界大戦を回避して平和をもたらしたと英雄視され、ヨーロッパ中が歓喜と安堵に包まれた。
敵対国の要求を受け入れ、戦争を防いだり問題を解決しようとしたりする外交スタイルを「宥和(ゆうわ)政策」という。
その代表的な人物がチェンバレンだ。
宥和政策の失敗と第二次世界大戦のぼっ発
チェンバレンは平和的な手段で問題を解決できたと信じ切って、イギリスに帰国すると「われらの平和」を宣言した。
世界の歴史で、これ以上大きな“不幸フラグ”はたぶん存在しない。

会談を終えて、ロンドンの飛行場に到着したネヴィル・チェンバレン。
ヒトラーはすぐに約束を破ってチェコを併合し、再軍備を進めてポーランドに攻め込み、第二次世界大戦がぼっ発した。
現代では、ミュンヘンの「平和会談」は結果的にヒトラーを調子づかせ、大戦がはじまった大きな要因になったとみなされている。
チェンバレンの次に首相となったチャーチルは、とんでもない「後始末」をすることになり、後に次のように述べた。
「われらの護(まも)りは恥ずべき無関心と無能にあったこと、われらは戦わずして敗北したこと、その敗北が後にまで尾をひくことを知れ」
「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」
早稲田大学の教授、ジェームズ・M・バーダマン氏もチェンバレンの態度を厳しく非難している。
就任後の外交面では弱腰な姿勢が目立ち、宥和政策を敢行(かんこう)したことがかえってヒトラーを増長させ、結局第二次世界大戦を誘引(ゆういん)することになったのです
「あらすじで読む英国の歴史 (KADOKAWA)」
もしチェンバレンを擁護するなら、当時のイギリスでは反戦ムードが高まっていて、何とか話し合いで問題を解決しようと多くの人が願っていたことが挙げられる。
チェンバレンはそんな平和を求める声に後押しされ、間違った決断をしてしまったのだ。
この宥和政策の失敗は歴史の教訓として、後世に語り継がれることとなる。
2003年にアメリカがイラク戦争に踏み込んだ際、ブッシュ政権はミュンヘン会議を持ち出し、「ヒトラーに対して宥和政策をとったことがアウシュビッツの悲劇を生み出した」と戦争の正当性を主張した。
毒ヘビを信じた結果(イソップ寓話の教訓)
英語圏には「Nourish A Viper in One’s Bosom」ということばがある。
直訳すると「毒ヘビを胸の中で育てる」という意味だ。
ある日、農夫が寒さに震えていた毒ヘビを見つけ、かわいそうに思って自分の服の中に入れてあげた。
温かさで元気を取り戻した毒ヘビは農夫を噛み、農夫は自分の愚かさを感じながら死んでしまった。
このことばは、そんな夢も希望もない『イソップ寓話』に由来する。
(The Farmer and the Viper)
完全に闇に染まった人間を信用して慈悲をかけても、結局は裏切られて、自分が痛い思いをするという教訓だ。
チェンバレンの場合はヒトラーを信じた結果、世界が取り返しのつかないダメージをうけてしまった。
話し合い(外交解決)の弱点
お互いに話し合えば分かり合い、問題が平和的に解決されることもあるが、常にそうなるわけではない。
世の中には話の通じない人間もいるのだ。
1932年に海軍青年将校らがクーデター(五・一五事件)を起こしたとき、首相だった犬養毅は「まあ待て。話せばわかる」と話し合いによる解決を求めたが、「問答無用!」と言われて射殺された。
それに、ヒトラーのように話し合って合意し、署名までしたのに簡単に破ってしまう人間もいる。
価値観が違って自分の利益を優先する相手とは、外交だけでは止められないケースもある。
インドとパキスタンが全面戦争にならない理由
チェンバレンが首相になった5月28日は、1998年にパキスタンが初めて核実験をおこなった日でもある。
これは「対インド」を想定してのもの。
インドとパキスタンは戦後に3回も戦争をしていて、お互いに「不倶戴天(ふぐたいてん)の敵」といっていいほど関係は冷え込んでいる。
昨年もカシミールで、武装集団に襲撃されてインド人観光客26人が死亡し、両軍の武力衝突に発展した。

実はインドも1998年5月に地下核実験をおこない、核の保有を宣言している。
これで両国の動きに世界の注目が集まることとなった。
しかしその後、印パは何度も武力衝突しているが、4度目の「印パ戦争」は起きていない。
インド人とパキスタン人に、全面戦争には発展していない理由を聞くと、よく「核兵器を持っているから」という答えがかえってくる。
もしどちらかが核を使えば、相手も核で反撃し、両方とも壊滅的な被害を受けることになる。
「攻撃したら、自分も終わる」ということが分かっているから、怖くて全面的な戦争には踏み込めない。
インド人やパキスタン人にとって、「核の抑止」は常識的な発想だ。
以前、知人のインド人カップルが広島へ行って、平和記念資料館を見学した。その感想を聞くと、
「インドでは絶対に、あんな恐ろしいことを起こしてはいけない。平和は何よりも重要だから、今のわれわれには核兵器が必要だ。」
と話すから驚いた。

パキスタン人が広島へ行ったら、きっと同じ感想を持つだろう。
これまで知り合ったインド人もパキスタン人も、相手が個人なら信頼して仲良くなることはできるが、国としては信用することはできないと言う。
インドとパキスタンの外交は「信頼」から始まるのではなく、「疑心暗鬼」が前提になっていると聞いた。
話し合って合意しても、相手がいつ裏切るか分からない。
だから、今のところは戦争を回避するために、「核抑止」がもっとも有効だという。
相手が信用できないといって、話し合いを拒否することはできない。
一切の対話がなくなると、状況はさらに危険になるだろう。
衝突をなくすのではなく、全面戦争にならないようにするのが、インドとパキスタンの外交の役割らしい。
相手を疑っているからこそ、話し合いを続けることも現実的な外交の一つだ。
まとめ:核抑止と話し合いで平和は守られている
ここまで見てきたように、外交だけでは不十分で安心できない部分がある。
ヒトラーのような人物がこの先現れるかもしれないし、「国家のトップが約束したら、それは絶対に破らない」という保証はない。
それについては、日本にもとても苦い歴史がある。
ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に攻め込んで「虐殺事件」が発生した。

ヒトラーという「悪魔」を信じたチェンバレンも愚かだが、スターリンという「毒ヘビ」を信じた日本もあまりにも甘かった。
その結果、多くの女性やお年寄りが殺害され、子供たちは奴隷のように売り飛ばされてしまったのだから。
インドとパキスタンはお互いを完全に信用することはできないから、核保有を「担保」にして、外交をおこなっているのだろう。
もちろん核兵器を持つことには、それ自体に大きな危険性がある。
しかし、話し合いによる解決には限界と不安があるのも事実。
核抑止と外交努力の二者択一ではなく、多くの国が直接・間接的にその2つを組み合わせて、平和な状態を保とうとしているのが現状だ。
もちろん、核のない世界が理想的なのだけど。

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