【戦争の始め方】家康の言いがかり/ヒトラーの自作自演

 

きょう8月31日は「イチャモン」の日。
徳川家康が1614年のこの日、日本の歴史上、最も有名な言いがかりをつけた。
その原因は、豊臣秀吉の子・秀頼(ひでより)が再建した方広寺の鐘にあったこの文字だ。

 

 

「君臣豊楽」と「国家安康」を見た家康は、「おやおや、これはいけませんね~」とニヤニヤして言う。(想像)
君臣豊楽には「豊臣を君主として楽しむ」という意図あるのではと疑い、「国家安康」については、「安」をはさんで家康を分断している、呪っているのではないかと言い出す。(これが8月31日)
もちろんこれはイチャモンだ。
でもこれが原因で豊臣家と家康は対立し、最終的には1615年の「大阪の夏の陣」で家康は秀頼を自害に追い込んで豊臣家を滅亡させる。
そして徳川幕府の時代が始まった。
家康は最初からコレが目的で豊臣側と戦争を始めるために、ヤクザもビックリの言いがかりをつけたのだろう。(方広寺鐘銘事件
そもそも家康が秀頼に大仏の再建をすすめたのも、豊臣家の財力を削ることが目的だったといわれる。
こんな謀略をするから、家康には「狸おやじ」という腹黒いイメージが付いてしまった。

 

もしこれが、家康が家来に「国家安康」の文字を彫らせたとしたら、これは言いがかりではなくて自作自演になる。
いくら家康でもそこまではしなかった。が、ヒトラーは違う。

8月31日は1939年に、グライヴィッツ事件が起きた日でもある。
ポーランドとの国境付近にあって、当時はドイツ領だったグライヴィッツ市でドイツの工作員がラジオ局を襲撃して、ポーランド語で反ドイツのメッセージを流す。
でもナチスはこれを、ポーランド系の住民がドイツのラジオ局を襲ったように見せかける。
まったく関係ない1人のポーランド系男性を銃殺し、ナチスは遺体をラジオ局に放置して、まるで彼がラジオ局を襲撃して殺されたようなシーンをつくった。

ドイツ軍がポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が始まったのはこの翌日、1939年9月1日だ。
ヒトラーは国民への演説で、自作自演のグライヴィッツ事件をポーランド侵略を正当化するために使った。

戦争の始め方について、相手の”ミス”につけ込んで、戦いに持ち込んだ家康はダーティーだけど狡猾とも言える。
でも相手の家に火をつけて、それを住民のせいにして攻め込み全滅させるようなヒトラーは終始鬼畜。
世界大戦を引き起こして、600万人のユダヤ人を虐殺した人類の悪魔は「狸おやじ」とはあくどさの次元が違う。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。