10、20年後の日本はどうなっているか?
外国人についていえば、未来の日本ではきっとたくさんの外国人が生活している。
今の日本は少子高齢化の流れは止まらないから。
このままでは、日本で働く人がどんどん少なくなってしまう。
それに応じて、税金もなくなっていく。
でも、介護が必要なお年寄りは増えていく。
こんな状態で日本がやっていけるはずがない。
女性や老人に働いてもらうとしても限界がある。
日本人では足りない労働力は、外国人でおぎなうしかない。
すでに今の日本では、外国人を労働者として受け入れる動きは進んでいる。
浜松市を見ても、フィリピン人やインドネシア人の介護士や看護師が活躍している。
日本の国際化の流れは今後も止まらないだろう。
ということで、数十年後の日本はきっと外国人との共生が進んでいる。
そんな日本をみすえて、共生社会の課題についてチョイと考えてみませんか?
「外国人との共生」という点で、オランダは日本と正反対。
日本は、人口の95%以上が日本人という同一性の高い国。
これに対してオランダは、いろいろな人種や宗教の人が住むスーパー多文化共生社会。
首都アムステルダムに200もの国籍の人たちが住んでいるオランダは、外国人にやさしい「寛容の国」として有名だ。
ハーグの中心部の近くには、「欧州最大の多文化の市場」とよばれる屋外市場もある。
オランダに住んでいる日本人はオランダについてこう言う。
アムステルダムはさまざまな国籍の人間が一緒に暮らしており、そして多くの人が英語を話します。オランダ語が出来なくても、多少英語ができれば生活することは可能です。
「多文化共生」という面をとり上げれば、オランダは日本のはるか未来を行っている。
そんなオランダが外国人との共生について出した’答え’はこれだ。
「オランダがいやなら、オランダから出ていけ!」
2017年1月、オランダのルッテ首相が国内に住む外国人に対して「嫌なら出て行け」と主張したことが大きな話題になった。
BBCの記事にそのことが書いてある。
ルッテ首相は新聞広告で「普通に振る舞え。さもなければ出ていけ」と主張。自由を求めてオランダに来たはずの人たちが、その自由を乱用しており、国民は反感を強めていると指摘した。
ルッテ首相は、オランダから外国人を追い出そうとする極右の政治家ではない。
オランダでそう主張しているのはウィルダースという人。
自分のやりたいことをして、言いたいことを言う。
そんな自由はたしかに大事だけど、一線を越えるとワガママになる。
外国人との共生では、どこかで一線を引く必要がある。
外国人に対して、「オランダのルールや常識に従うのが嫌なら、オランダから出て行け!」と厳しい態度に出ることも現実的には大事だ。
実際、この主張は多くのオランダ人から支持されている。
外国人がその国の決まりを尊重して生活しなかったら、多文化共生なんて不可能だ。
外国人を観光客として迎えることと、同じ住民として迎えることはまったく違う。
日本人にとって、外国人と共生するときの課題はきっとこんなこと。
日本のルールや価値観を尊重しない外国人に、「日本が嫌なら出て行け!」と厳しく言うことができるかどうか?
無条件で「外国人はただちに日本から出て行け!」と言うのは排外主義で右翼的だ。
でも日本の価値観やルールが嫌でそれを守らない外国人がいたら「では、日本から出て行ってほしい」とハッキリ言う必要がある。
それは排外主義ではない。
無条件で外国人を受け入れることは不可能だ。
外国人との共生とは、外国人を客として迎えることではない。
一緒に働く新しい従業員を迎えるようなもの。
従業員の言うことを聞いて店をそれに合わせる必要はある。
けれど、従業員が店の考え方を理解して、それに合わせることの方がより重要だ。
外国人には、生活する地域のルールや考え方に自分を合わせてもらう必要がある。
前に、イランでの「犬論争」について書いた。
イスラーム教では、犬は「けがれた動物」と考えられている。
でも最近では、そうした伝統的な考え方から離れ、犬をペットとして飼うイラン人も増えている。
それで今のイランでは、「犬はけがれていると考える人」と「犬はかわいいと考える人」の間でちょっとした対立がある。
くわしくはこの記事を見てください↓
価値観の対立!イスラム教で犬は汚れた動物だVSかわいいペットだ
この記事を書くときに引用した朝日新聞の記事(2017/08/31)を読んでいて、「え?マジで?」と目を疑った記述があった。
「イスラーム教では、犬をけがれた動物と見ている」ということを念頭に読んでほしい。
首都テヘランに住む外国人女性が犬を抱いて街を歩いていた。
すると、それを見た住民が警察に連絡する。
そして実際に、警察が彼女にところにやって来たという。
そしてこんなことが起こった。
「モスク前で犬と一緒に待ち合わせをしていたら、宗教指導者がモスクから出てきて、犬がいた場所を水で洗い流した。本当に驚いた」と話す。
このイスラーム教の聖職者は「モスクの前に犬がいた」ということで、「モスクの神聖をけがされた!」と考えたのだろう。
イランにはイランの常識やルールがある。
「郷に入っては郷に従え」で、外国人には理解できなくてもそれを守る必要はある。
少し話がそれる。
「モスク前で犬がいた」というだけで、イランの聖職者はその場所を水で洗い流さないといけなかった。
だとしたら、次のようなことがあったらどうなるのだろう?
インドを旅行中に出会ったインド人から、こんな話を聞いた。
その人が住んでいるところで、イスラーム教徒とヒンドゥー教徒の間で争いが起きた。
そのときに、怒ったヒンドゥー教徒がモスクの中に犬の頭部を投げ込んだという。
イランでこんなことが起きたら?
想像しただけで背筋が寒くなってしまう。
「イスラーム教では犬を不浄とみなしている」と考えるのはイスラーム教徒の自由。
でも、「自分たちがそう考えているから」ということで、その国や地方の社会の仕組みを変えようとすると、問題が起きてしまう。
たとえば、イギリスに住んでいるイスラーム教徒が「犬はけがれている」という考えから、イギリスの警察に「警察は警察犬を使うな」と要求したという。
そのことがフランスに住んでいる日本人のブログに書いてある。
対テロ警備などでロンドンポリスは警察犬を連れて、駅などをパトロールしているのですが、それに対してイスラム教徒達は「警察犬を廃止しろ」と訴えているとの事。
調べるときに犬がクンクンするじゃないですか、あれが「不浄な犬に触る事は許されない」イスラム教の教えに反するそうです。
「イスラーム教の考え方に反する」とイスラーム教徒から抗議を受けたけど、イギリスの警察は警察犬を使い続けている。
これは当然だろう。
イギリスの警察をイスラーム教徒の価値観に合わせるのではなくて、このイスラーム教徒がイギリスのルールに合わせるべきだ。
もちろん、それが納得いかなかったらイギリスの裁判所に訴えればいい。
裁判所の判決にも納得できなかったら、イギリスを出ていけばいい。
自由を乱用する人間は、国民の反感を強めるだけ。
そんな外国人との共生は無理筋だ。
もし、日本に住むイスラーム教徒がこれと同じ要求をしたら、どうなるだろうか?
「日本の警察は警察犬を使うな」と言ったとしたら?
この要求に応えることはムリだろう。
日本の社会をイスラーム教徒の価値観に合わせるのではなくて、そのイスラーム教徒が日本のルールに合わせる努力をするべき。
「オランダが嫌なら、オランダから出ていけ!」と言うように、「日本が嫌なら、日本から出て行け」と言うしかない。
外国人との共生では、そういう厳しいことをハッキリ相手に伝えないといけない場面がきっと出てくる。
日本人はどちらかというと、相手の要求を聞いてそれに自分を合わせてしまう人が多い。
そんな日本人にとっての課題は外国人の言うことに耳を傾けるけど、できないことはハッキリ言うことだろう。
そしてときには、「あなたがわたしたちに合わせてほしい。それができないのなら、ここにいる必要はない」と厳しい態度で外国人と接することも必要になる。
日本人は、外国人にハッキリものを言うことが苦手な人が多い。
でも、価値観や考え方が違う外国人との共生では、そうしないといけないこともある。
それが日本人の課題だと思う。
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これから日本が外国人を受け入れることは間違ないでしょう。
受け入れ可能な人数を考えて受け入れてほしいものです。