まったく気がつかなかったのだけど、今年2017年は、韓国が日本に宣戦布告してから76周年になるらしい。
中央日報の記事(2017年12月07日)に、その記念式典がソウルの「金九(キム・グ)記念館」で開かれると書いてある。
今回の記念式には朴維徹(パク・ユチョル)光復会長など約200人が出席する予定で、出席者は宣戦布告文の朗読後、万歳三唱をする予定だ。
大韓民国臨時政府は1941年12月10日、日本がハワイ真珠湾を攻撃して太平洋戦争を起こすと、日本に対する宣戦布告文「対日宣戦声明書」を発表した。
大韓民国臨時政府が日本に宣戦布告をしていたのは知っていた。
でも、「今年で76周年!」というのはこの記事を読んで初めて知った。
金九とはこんな人物
[1876~1949]朝鮮の政治家・独立運動家。号は白凡(ベクボム)。甲午農民戦争に参加。三・一独立運動の後は上海に亡命し、大韓民国臨時政府の最高指導者として活動。第二次大戦後は南北統一運動を展開したが、李承晩(イスンマン)と対立し、暗殺された。
デジタル大辞泉の解説
「今年は、韓国が日本に宣戦布告してから76周年!」というニュースにたいして、日本のネットでは「え?」と理解に苦しむような反応があがっている。
・なんだこれ?
・だれに宣戦布告したの? エアー宣戦布告ですか
・韓国では日本と戦争したことになってるの?
・宣戦布告した後は何をやったの?
・でどこで参戦してきたの?
・宣戦布告は良いけど そもそも韓国の臨時政府に日本と戦える軍隊は有ったのか?
歴史を見ると、韓国が日本と戦争をしたという事実はない。
当時韓国は日本の一部になっていたから、「日本人と一緒にたたかった」という事実なら存在する。
日本に宣戦布告したという「大韓民国臨時政府」とは、どんなものなのか?
日本の世界史ではこう習う。
大韓民国臨時政府 1919
三・一独立運動後、上海で設立された政府。初代首班は李承晩。弱体ながらも第二次世界大戦後まで存続したが、進駐したアメリカ軍により事実上解体された。
「世界史用語集 (山川出版)」
「アメリカ軍により解体された」というところから感じとってほしいのだけど、この臨時政府は当時の国際社会から相手にされていなかった。
そう言っても、問題ないだろう。
ウィキペディアにはこんな言葉がある。
アメリカや他の連合国諸国は臨時政府が何かしらの地位を得ることを故意に控えた。
李在鈴によれば臨時政府は国際的承認を得られなかった。
大韓民国臨時政府は連合国からも枢軸国からも第二次世界大戦の参戦国として認められず、サンフランシスコ講和条約への署名も認められなかった。
臨時政府は成立直後から政府としての国民党政府(中華民国)に承認を求めていたが、国民党政府は構成員の能力と資質の不足を理由に承認しなかった
アメリカの承認拒否によって国民党政府による承認も結局行われなかった
これが「対日宣戦声明書」。
漢字が読めない今の韓国人よりも、日本人の方が意味を理解できる。
ただこれも、日本政府や連合国は臨時政府を国家として認めていなかったから、「国際法上の意味を持つに至っていない(ウィキペディア)」というのが実際のところ。
韓国が「日本に宣戦布告した!」と主張しても、世界からは「え?」という感じ。
「大韓民国臨時政府は国際的に認められていなかった」ということについては、評論家の小室直樹氏の言葉を紹介したい。
1945年8月15日に、日本はアメリカに降伏して戦争は終わった。
そして韓国は日本の統治から解放される。
でもその後にアメリカが交渉相手に選んだのは、大韓民国臨時政府ではなくて日本だった。
アメリカが交渉相手として選んだのは、朝鮮総督府であり、アメリカ軍が気にしたのは、上月良夫中将の朝鮮軍管区軍(もちろん、これは日本軍)であった。
「韓国の悲劇 (小室直樹)」
もしこのときに、アメリカの交渉相手が日本ではなくて臨時政府だったら、「国際社会は、大韓民国臨時政府を正統性のある政府だと認めていた」ということができる。
でもアメリカは、臨時政府ではなくて日本を選んだ。
これはどういうことか?
小室直樹氏はこの意味をこう説明する。
正式に交渉相手になること、これが重大な意味をもつのである。
なぜなら敵は、革命政権を、法的に正統な政府と認めたことを意味するからである。
また、講和のための条件について交渉するということは、合意された条件を履行する能力を有することを認められたことである。「韓国の悲劇 (小室直樹)」
日本の植民地支配が終わったとき、アメリカが正式な交渉相手に選んだのは日本だった。
それどころか、アメリカは臨時政府を解体させている。
ハッキリ書いて申し訳ないのですが、大韓民国臨時政府は、世界からその存在を認められていなかった。
「今年は日本に宣戦布告してから、76周年だ!」と万歳三唱をするのもいいけれど、今こそ、金九先生の言葉に耳を傾けたらどうだろう?
先ほどの小室直樹氏がこうも書いている。
昭和二十八年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾した。
しかし、このことによって朝鮮が解放されたわけではなかった。金九、暗殺の神様といわれ、植民地時代に、独立を求める人びとの希望の星として、尊敬を一心に集めていた人物である。彼は、日本降伏の報に接したとき、天を仰いで長嘆息した。
― 韓国軍は、日本軍をうち破ることは一度もできなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった。最後まで、日本軍に制圧されたままの解放なんて、結局、何にもなるまい。
(中略)自力で日帝から解放することもできなかったわが同胞に、とてもそんな力があるとは思えない。この金九の嘆き。ここに韓国人の対日感情の原点がある。
「韓国の悲劇 小室直樹)」
「韓国軍は、日本軍をうち破ることは一度もできなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった」
この金九の嘆きが、今に続く韓国人の対日・反日感情の始まりになったと思う。
そしてここが、東南アジアの植民地だった国と違う点でもある。
ベトナムやインドネシアなどは独立戦争をして、それに勝って独立を勝ちとった。
東南アジアの国々が植民地支配をしていたヨーロッパの国にたいして、心からの反省や謝罪を要求しないのは、それらの国と戦って勝利したからだろう。
韓国には、それができなかった。
日本と独立戦争をして、「日本軍を撃滅してわが同胞を解放」することができなかった。
「今年は日本に宣戦布告してから、76周年だ」と万歳三唱したくなるのは、この無念の裏返しなんだと思う。
前に韓国人のガイドから、「日本と戦って勝ちたかったですよ~」なんてことを聞いた。
こう思っている韓国人は、けっこういるような気がする。
おまけ
ソウルのミョンドン。
こちらの記事もいかがですか?
韓国の反日、東南アジアの反ヨーロッパ感情が違う理由(植民地)
韓国で少女像(慰安婦像)を建てる市民団体の目的や考え方って何だ?
コメントを残す