はじめの一言
「西洋人は、極めて優れた黄色人種の分派・日本民族の深い神秘性、天性の賢さ、哲学、芸術、思想など名状しがたい知的洗練さの前には、まるで赤ちゃん同然です。(シドモア 明治時代)」
「シドモア日本紀行 講談社学術文庫」

今回の内容
・「明治」とは?
・外国人との接し方
・「明治」とは?
そもそも、「明治」ってどんな意味なのか?
これは、「易経(えききょう)」という中国のふる~い書にある言葉。
「聖人南面而聴天下、嚮明而治」
誰が読めるか!
と、つっこんでしまうもの。
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む(ウィキペディア)」
と読むらしい。
意味としては、「天皇が南に向いていれば、世の中すべて良い方向にいく」という感じだろう。
前越前藩主松平慶永らが勘案した文面を籤としたものから、宮中賢所で天皇が自ら抽選したものだといわれている。聖人が南面して政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味である。
(ウィキペディア)
「天子南面思想」
という考え方がある。
国を治める「天子(天皇、皇帝、王)」は、南を向いていると良いという中国の考え方で、これは日本や韓国にも伝わっている。
さて、ここでクイズ!
日本・中国・韓国の王宮で同じところってなに?
答えは「すべて南向き」というもの。
京都御所、紫禁城(中国)、景福宮(韓国)の王宮が南向きにつくられているのは、この考え方によるもの。

中国の王宮(紫禁城)
屋根が黄色のなのは、五行という考えによる。
ちなみに京都に行ったとき、右京区と左京区をまちがったことはない?
京都駅をおりて北を向くと、銀閣寺がのある右側がなぜか「左京区」で、嵐山のある左側が「右京区」になっている。
これも、「天子南面思想」の影響。
御所にいる天皇が南に向いていると考えたら、銀閣寺が左側、嵐山が右側になる。
「明治」という言葉を別の角度からみてみよう。
明治は明らかに治める、という意味に解釈されて、その後の明治天皇の治世の性格そのものをあらわすことになるのです
(明治天皇を語る ドナルド・キーン)
つまり、「明治」というのは、時代だけはなくて明治天皇の「性格」をもあらわしているという。
もうこのへんからして、前回に書いた西太后のような重苦しい雰囲気がないね。
・外国人との接し方
明治天皇のたいせつな仕事は、外国人の「お・も・て・な・し」。
なんせ、江戸時代の「鎖国」の時代とちがって、明治は多くの外国人が日本をおとずれた時代だから。
ところで、天皇が外国人に会うというのは、いつ以来だろう?
それはいいや。
明治天皇は、外国人に対して誠意や親しみをもって、おもてなしをしている。
ロシア人は食事中にもたばこを吸う習慣があると聞いて、彼も同じように振舞った。要するに、明治天皇は出来る限り外国人を理解しよう、付き合おうとしていたのです。
(明治天皇を語る ドナルド・キーン)
また、ハワイの王様と会ったときはこんなふう。
明治十四年にハワイ王国のカラカウア王が日本を訪ねてきたとき、天皇はこの王と握手し、肩を並べて歩きました。カラカウア王は、日本の天皇とは普段、同じ部屋にいることさえできないと知っていたので、神の子と肩を並べて歩くことは大変なことだと、大いに喜びました。
(明治天皇を語るドナルド・キーン)
このハワイ王国の王が日本にきたときには、王が英語を話していて明治の日本人が驚いている。
日本人は、むかしから英語が苦手なようだ。
また、不幸にも食事中には地震が起きた。
生まれてはじめての地震にハワイの王は驚くけど、まわりの日本人は慣れているから気にしない。
何もなかったように、そのまま食事を続けている日本人に王が驚いている。
でも、地震以上にこのハワイの王様を驚かせたのは、「大政奉還」と「王政復古」だったようだ。
ほんの一瞬のような短い期間に古い封建制度を自力でうちやぶり、強力な「ダイミョー」の独裁政治を倒して、新たな政治体制を確立したということだ。
それも、西欧諸国の革命のようなひどい苦しみや流血の惨事など、それほどなかったということがすばらしい(カラカウア王のニッポン仰天旅行記 小学館文庫)
ということで、明治天皇は外国人に対してフレンドリーにおもてなしをしていたみたい。
でも、日本人に対してはどう接していたのか?
それを次回書きます。
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