バシー海峡の日本人②アウシュヴィッツを越える太平洋戦争の悲劇

 

小松真一さんという人が、自身の戦争体験を書いた「慮人日記」という本で、日本がアメリカに負けた原因を21あげている。

慮人日記

戦地の渦中にあって、見たまま聞いたまま、体験したままを、ほぼ、その場で、その時に記録された第一次資料。

太平洋戦争のドキュメントとして、極めて希有な存在。

(ウィキペディア)

前の記事で、その中の1つ「バアーシー海峡の損害と、戦意喪失」について紹介した。

バシー‐かいきょう【バシー海峡】

《Bashi Channel》フィリピン北端のバタン諸島と台湾南端の間にある海峡。ルソン海峡を構成する三つの海峡のうち、最も北側に位置する。幅約150キロメートル。黒潮が流れ、太平洋(フィリピン海)と南シナ海を結ぶ海上交通の要所として知られる。

(デジタル大辞泉の解説)

バシー海峡はフィリピンと台湾の間にある約100kmの海峡だ。

 

このバシー海峡では戦争中、10万人から26万人もの日本人が命を失ったと言われている。
これは、東京大空襲や広島・長崎の原爆投下と同じぐらいの犠牲者数になる。

当時、多くの日本兵を乗せた輸送船が、フィリピンに向かっていた。

でもこの時、日本軍は制海権を確保していなかった。
だから、アメリカ軍の潜水艦の魚雷によって、日本兵を満載した輸送船は簡単に沈められていった。

魚雷が命中してから輸送船が沈没するまでにかかる時間は約15秒。

この輸送船には、およそ3000人の日本兵が乗っていたという。
15秒の間に、3000人の命がなくなったことになる。

これは、殺人工場といわれたナチス・ドイツのアウシュヴィッツ強制収容所での「殺人能率」をも上回る。

この船に魚雷があたったときの大量殺戮の能率はー三千人を十五秒―は、アウシュヴィッツの一人一分二十秒とは比較にならぬ高能率である。

(日本はなぜ敗れるのか 敗因21カ条 山本七平)

アウシュヴィッツ強制収容所では、ユダヤ人1人が1分20秒で殺されていった。
これは毒ガスでの殺害のことだろう。

バシー海峡での悲劇では、日本人が1人0.005秒で亡くなっている。

 

タイトルに「アウシュヴィッツを越える」と書いたのは、犠牲になった人の総数ではなくて、時間当たりに死んだ人数の「殺人効率」をさす。

 

 

もちろん、ナチスによるホロコーストとバシー海峡での悲劇はまったく違う。

ホロコーストでは、ドイツ人はユダヤ人の絶滅を目的としておこなっている。
その動機には、人種に対する憎悪がある。

 

バシー海峡では、日本軍が日本人に対して輸送船に乗るよう命じて出航させている。

輸送船を出せば、アメリカ軍の攻撃によって多くの日本人の命が失われることは分かっていたはずなのに、日本軍はこの無謀な作戦を強行した。

でも、日本軍が日本人に対して人種的な憎悪があったわけではない。

 

日本軍は虐殺を意図してなかったにもかかわらず、結果としてアウシュヴィッツ以上の殺人効率を実現させていた。

このことには戦慄を覚えてしまう。

 

輸送船が魚雷によって沈められたのは、1度だけではない。

輸送船が沈めらても、日本軍はすぐに次の輸送船を出している。

それが沈められても、また次の輸送船を・・・という具合に、「日本兵を満載した船を沈められては、次の船を出す」という繰り返しによって、10万~26万人もの日本人の命が亡くなった。

 

このとき日本兵が乗っていた輸送船には、今のフェリーのような快適な空間はない。

あまりに狭いスペースに、多くの日本人が押し込められていた。

ナチの収容所の中で最悪といわれたラヴェンスブリュック収容所の中の、そのまた最悪といわれた狂人房のスペースと同じなのである。おそらくこれは、これ以上つめこんだら人間が死んでしまう、ぎりぎりの限界である。

(日本はなぜ敗れるのか 敗因21カ条 山本七平)

この中では、立つこともできなかった。

そんな状態でいて魚雷がきたら、15秒で3000人が死んでしまう。
こんなことで死ぬために生まれてきたわけでもないし、親が育ててきたはずもない。

 

 

バシー海峡での悲劇は、アメリカ軍のせいだろうか?

アメリカ軍ではなく、日本軍がその責任を負うべきだと思う。

 

アメリカ軍からしたら、輸送船を見つけたらこれを撃沈することは当たり前のこと。
戦争中のことだから、これはわかる。

むしろ理解に苦しむのは、日本軍の方だ。

制海権を確保しないで時速数ノットで航行していたら、魚雷で狙い撃ちにされることはわかり切っていたはず。

それでも日本軍は、この計画を立案・承認し、実行に移している。

山本七平さんは、日本兵を満載した輸送船が魚雷で沈められる愚を繰り返していたことを、「死のベルトコンベアー」と表現している。

 

なんで日本軍は、兵員の輸送方法を変えなかったのか?
兵員の輸送について、日本軍はまったく同じやり方に固執して同じ悲劇を繰り返している。

この記事の始めに、小松真一さんは日本が戦争で負けた理由を21あげていると書いた。
その中の1つが「バアーシー海峡の損害と、戦意喪失」で、この他にあげていた原因に、「日本軍があまりに日本人の命を軽視していたこと」がある。

日本は人命を粗末にし、米国は大切にした

(慮人日記)

この兵員の輸送が終わったのは、輸送船がなくなるまで続けられた。

それまで日本軍は、同じ愚行をずっと繰り返していたことになる。

人の命を、物か数と認識していたとしか思えない。

 

ナチス・ドイツの強制収容所以下の劣悪な空間に閉じ込められたまま、15秒で亡くなっていった日本人のことを思うと心が痛くなる。

 

東京大空襲や広島・長崎の原爆投下のことは今の日本で広く知られているし、大規模な慰霊式が毎年開かれていて、その死者に思いをはせる機会はある。

でもバシー海峡についは、この悲劇を知る日本人がほとんどいなくなっている。

人びとの頭からも、バシー海峡の名は消えているだろう。

ここで死んでしまった日本人のことを思うと、せつなくなる。

 

バシー海峡で亡くなった日本人は、生まれた時代が悪かった。
あまりに運がなかった。

 

東南アジアに行く飛行機に乗れば、このバシー海峡の近くを通るはず。

そんなときには、ここで多くの若い日本人が亡くなったことに思いを寄せてもいいと思う。

 

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ミャンマーには、ここで亡くなった日本人のための慰霊碑をいくつもある。

 

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今まで、東南アジア、中東、西アフリカなど27の国・地域に旅をしてきました。以前、中学生に歴史を教えていた経験もあります。 また、日本にいる外国人の友人も多いので、彼らの目から見た日本も知っています。 そうした経験をいかして、日本や世界の歴史・文化・宗教などをテーマに、「読んでタメになる」ブログを目指しています。