【天武天皇】“天皇”や“日本”が生まれ、この国の土台を築く

 

きのう、古代日本で起こった最大の内乱・壬申の乱について書いた。

【おじ VS おい】古代日本の最大の内乱・壬申の乱が起きたわけ

大海人皇子はこの戦いに勝利し、天武天皇となって日本を統治することとなった。
この天皇は日本の土台を築いたといっていい素晴らしい天皇なので、これからその業績を紹介させていただこう。

 

日本が世界のほかの国と決定的に違うところは、天皇がいる点。
以前アメリカ人と話をしていて、

「日本の天皇は特別な存在だよ。キングなら世界中に何人もいるけど、いま“エンペラー”と呼ばる人物は彼だけだからね」

ということを聞いて、そういう視点があったのかと目からウロコが落ちた。
確かに、かつての世界には何人もの皇帝がいたが、時代の変化とともに消えていき、現在では日本にしか存在しなくなった。

日本の歴史で、初めて「天皇」になったのは天武天皇という説が有力だ。
大海人皇子は壬申の乱を制し、673年に飛鳥浄御原宮で即位し、それまで使われていた「大王」(おおきみ)の称号に代わり、「天皇」を用いたとされている。
また、国名が「倭」から「日本」へ変更されたのもきっと天武天皇の時代だ。

「天皇」と「日本」がこのころに誕生した理由は明らかではないが、背景は想像できる。
天武天皇は即位する前、大海人皇子だったころ、唐と新羅の連合軍との戦い(白村江の戦い)、敗北したという苦いを体験をしている。
この後、朝廷は唐&新羅が襲ってくるとを恐れ、九州の北部の城を築いたり、防人を配備するなど国の守りを固め、“迎撃体制”をとった。

大海人皇子は外国と戦ったことで、唐や新羅を強烈に意識するようになり、倭国を強大な国家につくり変えるために、「天皇」と「日本」という称号と国名を設定し、新しい国づくりを目指したのだろう。
「王<皇」だから、天皇は中国の皇帝と対等で、新羅の王よりも上位に立つことになる。
この点、日本を東アジアの中で「独立した国」であるとアピールしたかったのでは。

ちなみに、『万葉集』の歌の中に、「大君(おおきみ)は神にしませば」という言葉が現れ、天皇が神格化されるようになったのも天武天皇の時代からだ。
現在でも日本にエンペラーがいる理由は、この国では革命が一度も起こらなかったから。
源頼朝も足利義満も織田信長も、どんな実力者も天皇には手を出さなかった。
これには、「天皇=神」という考え方が影響を与えていたはず。

 

 

日本人の信仰について外国人がよく驚くのが、神道と仏教を同時に信じる神仏習合だ。
あるイギリス人女性が日本人の友人にお寺へ連れて行ってもらった。…そう聞いていたのに、なぜかその境内には鳥居があった。
彼女は「鳥居があるところは神道の神社で、無ければ仏教のお寺」と区別していたから、そこがどっちの宗教施設かわからなくなる。
そこで友人に聞いたら、「ここはお寺だと思ったけど…、でも確かに鳥居がある。あれっ、どっちなんだろ?」と笑ってごまかされた。
そのイギリス人からしたら、友人は何度も来たことがあるのに、そこが何の宗教の建物か分かっていなかったというのは衝撃的。
そこがキリスト教の教会か、イスラム教のモスクか、それともユダヤ教のシナゴーグかわからないイギリス人は想像できないという。

日本では長い歴史の中で神道と仏教がごちゃ混ぜになり、神さまにも仏さまにも手を合わせる信仰がスタンダードになったから、神道と仏教を明確に区別する必要はなかったのだ。
そんな伝統があるから、現代でも、そこがお寺と神社かよく分からない日本人がいる。

 

天武天皇はそんな信仰の面でも大きな影響を与えた。
皇祖アマテラスを祀る伊勢神宮に巫女(斎宮)が仕える制度を整えたり、式年遷宮を行うよう考えたりしたのも天武天皇だ。
式年遷宮は20年に一度、建物を作り直す作業で、伊勢神宮では特に重要な行事とされている。
次の持統天皇(天武天皇の妻)の時代に、初めて式年遷宮が行われた。
天武天皇は神道を重視すると同時に、お寺をいくつも建てたり、皇后(後の持統天皇)の病気治癒を願って薬師寺を建立したりするなど、仏教政策を積極的に推し進める。
ただ、天武天皇が神仏習合を初めて唱えた天皇ではなく、その傾向は以前から存在していた。

このほかにも、日本初の歴史書の『古事記』や『日本書紀』の作成を命じたのも天武天皇で、日本初の銭貨「富本銭」がつくられたのもこの天皇の時代と考えられている。

「日本」や「天皇」という名称を生み出したり、日本の歴史を記録したりするなど、天武天皇は日本という国の土台を築いた人物と言っても過言ではない。

 

 

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2 件のコメント

  • >これには、「天皇=神」という考え方が影響を与えていたはず。

    そもそも武家の祖が皇族の末裔で、官職も天皇より与えられたものですからね。
    有力な大名も天皇に反逆となれば、自らの血筋の正統性まで否定してしまいます。
    政敵に大きな名分を与え、下手したら配下より反旗をひるがさえるでしょう。

  • 天皇を倒して自分が天皇となって新しい王朝を開けば、日本は力だけの何でもありの世界になってしまいます。
    そうなると、いずれ自分の王朝も倒されることになるから、「安全装置」として天皇には手を出さなかった面もあると思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。