インドで尊敬されるチャンドラ・ボースと日本軍のインパール作戦


 

上の写真がの人物が、インドの英雄「チャンドラ・ボース」

コルカタ(カルカッタ)の国際空港のに彼の銅像があった。

日本人の旅行者なら、日本とゆかりのあるこの人物に「こんにちは」とあいさつしてもいいと思う。

 

ガンディーは「非暴力・不服従」をつらぬき、イギリスをインドから追い出した。

こうしたガンディーの考え方や活動を知って、こう思った。

「ガンディーは、なんて偉大な人物なんだ!きっと、インドで一番尊敬されている人物に違いない!」

 

でも実際にインド人に聞くと、意外とそうでもない。
ボクが思っていたのと違う答えが多く返ってきて、「あれれ?」と思うことが何度もあった。

 

コルカタ(カルカッタ)でインド人に聞いたときはこんな感じ。

「ガンディーはインドで一番尊敬されてますよね?」

「違うな。東インドではチャンドラ・ボースだ」

ああ、チャンドラ・ボースなんだ。
で、それは
誰ですか?

調べてみると、この人は日本とつながりの深い人だった。

チャンドラ・ボースはインドの独立運動家で、「武力による独立を目指し日本の支援でインド国民軍を組織した(世界史用語集)」という人。

このインド国民軍は武力によるインド独立を目指して、日本軍と行動をともにしているた。
ボースはインパール作戦にも参加したかったらしい。
でも、参加しなくて良かった。
これはあまりに悲惨ひさんだったから。

 

 

1944年のインパール作戦は、日本の歴史の「負の遺産」というほどひどい戦いだった。

これは決してくり返してはいけないものだから、以下にそのことを書いていく。

インパール作戦は日本がビルマからインドへ侵攻した作戦なのだけど、結果としては日本軍の大敗北に終わっている。

このとき日本がイギリスと戦ったのは、「援蒋(えんしょう)ルート」をつぶすため。
「援蒋ルート」とは、中国の「蒋介石(しょうかいせき)政権に対する米・英の物資援助ルートのこと(世界史用語集)」のこと。

 

そのときの日本は中国と戦争をしていた(日中戦争)。
このとき日本を悩ませていたのが、この援蒋ルート。

これがある限り、アメリカやイギリスはビルマから武器などをどんどん中国に運びこむことができてしまう。
そうなると、日本は中国との戦争を終わらせることができない。

「援蒋ルート」は、ベトナム戦争で北ベトナムがラオス経由で前線に武器などを運んでいた「ホーチミン・ルート」のようなもの。

「この援蒋ルートはつぶさないとダメだ」ということになって、インパール作戦がおこなわれた。

 

下の地図でいうと、北海道のあたりにインパールがある。

 

しかし、インパール作戦は日本軍の大惨敗に終わる。
この失敗の理由には、日本軍が物資の補給を考えていなかったことがあった。

 

ビルマのジャングルは、とても暑いし湿度も高い。
ここでの遺体の腐敗は速くすすんでしまい、すぐに白骨になったという。

日本軍が撤退した道は、そこで生き絶えた日本兵の白骨が点々と並ぶ「白骨街道」と呼ばれた。

ボロボロの軍服を着た白骨に、別の白骨がもたれかかり、その上にまた別の死体がもたれかかっている。

三つ目、四つ目の死体になると、死んで間もないためにまだ内臓が残っており、ウジがわいていた。

ウジは死体の原の上に山のようになって動いていた。死体は一か所に二〇ぐらい並び、多い所には三〇以上も集まっていた

「責任なき戦場 インパール (角川文庫)」

 

 自ら命を断つ者が続出した。小銃を持っている者は、口の中へ銃口を入れ、足で引き金を引いた。銃を持っていない者は手榴弾を抱き、俯(うつぶ)せになって爆発させた。手榴弾を持っていない者は、通りかかる兵隊たちに手榴弾をねだった。

そうした自殺は、夕方に多かった。日が暮れる頃、あちこちでパーン、パーンと小銃や手榴弾の音が聞こえ、それが山々にこだました
(同書)

ビルマ(ミャンマー)にある日本人慰霊碑

 

イギリス軍の兵士は、日本軍の野戦病院で見た光景をこうふり返っている。

その死体のかたわらには、兵士の妻や子ども、恋人の写真、富士山や桜の花、梅の花の絵葉書、そして日記帳などが落ちていた。今際(いまわ)のきわに、思い断ち難く眺めていたと思われた。胸が締めつけられるような光景だった(同書)

 

先ほど「くり返してはいけない負の遺産」と書いたのには、こういうわけがある。

ちなみに、アメリカは「ホーチミン・ルート」をつぶすために、クラスター爆弾を落としたり枯れ葉剤をまいたりした。
このことも現在、アメリカの「負の遺産」になっている。

 

 

話を戻す。
東インドでは、ガンディーよりチャンドラ・ボースの方が尊敬されていることは間違いないようだ。

東インドにはベンガル人が多いから、「ガンディーより同じベンガル人のチャンドラ・ボースの方がいい」という人は多いと思うけど。

とにかくこの人物は、東インドでは誇りとされている。
ボクもコルカタに行ったとき、国際空港の目立つところにこのチャンドラ・ボースの像があるのを見て驚いた。

「でも、これは東インドだけだろう。他の地域のインド人に聞けば、『ガンディーが一番さ』という答えが返って来るだろう」

そう思ってパンジャーブ州のインド人に聞いたら、まったく想像してなかった答えを聞くことになった。

 

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投稿者: kokontouzai

今まで、東南アジア、中東、西アフリカに旅をしてきました。外国に行って初めて気がつく日本の良さや特長があります。以前、歴史を教えていたので、その経験もいかして、日本や世界の歴史や文化などをテーマに、「読んでタメになる」ようなブログを目指します。

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