たまたま誕生:お菓子のカール・“生類憐れみの令”から板海苔

 

きょう4月18日は「発明の日」。
1885年のこの日、「専売特許条例」(いまの特許法)が出されたことにちなんでこの記念日が爆誕。
さて発明というものには、それを作ろうと意図して生み出したモノもあれば、想定外の“たまたま”で誕生したモノもある。
そんな偶然から生まれる発見や幸せをセレンディピティ(serendipity)という。
ノーベル賞を受賞した白川英樹さんや田中耕一さんの大発見も、セレンディピティによるところがある。

【セレンディピティ】日本や海外で世界的発見を生んだ“偶然”

 

明治製菓が作り続けているこの国民的菓子も、そんなセレンディピティのひとつ。

 

 

1960年代に明治がアメリカのスナック菓子をヒントに、日本初のスナック菓子を作ることにする。
それで試行錯誤を重ねて、チーズとチキンスープの2つの味のカールがデビューしたものの、最初はなかなか消費者に受け入れられず苦労したらしい。
カールといえば、その特徴は何といってもあの丸っこいカタチにある。
商品名のカールも「curl(巻く)」に由来するのだが、大人の事情(商標登録の関係)で「karl」となっているのだ。

カールがあの形になったのは“たまたま”。
商品を開発している時、生地が丸まったものが偶然ノズルから下に落ちる。
その形を見た商品開発部の人(黒井津さん?)が「何かいい」とツボに入って、ユニークだということであの「吊るしさるぼぼ」みたいな形になったのだ。
だからあれはセレンディピティの発見になる。

ちなみに当初、カールのイメージキャラは「カールおじさん」じゃなくて「カール坊や」のほうだった。
「子供のおやつとして定着させたい」という明治の思いから、子どもがメインキャラとして使われていて、4作目のCMでカールおじさんが消えると問い合わせが殺到する。
わき役だったおっさんに人気が集まった結果、主役の子供は追い出された。
明治にとってはこれも思わぬ結果なんだろうけど、この闇歴史もセレンディピティと言えるかは微妙。

 

ほかにも、日本人のソウルフードに使われている海苔(のり)もセレンディピティの賜物だ。

 

 

海苔そのものは、奈良時代から食べられていた記録がある。
でもいまの日本で一般的な板海苔が生まれたのは江戸時代、1685年に将軍・徳川綱吉が「生類憐れみの令」を出したころ。
「この世に生きとし生けるものは、すべて大切にしないといけない」という綱吉のやさしい思いから、「生類憐れみの令」で保護する対象は、犬、猫、鳥、魚類、貝類、昆虫のほか病人や高齢者にまで及んだ。

さて、ここの「魚」に注目だ。
この令によって、浅草近辺での漁業が禁止されてしまった。
こんなことをされたら漁師は仕事にならない。かといって、江戸時代の漁師がストを行って幕府に抗議するわけにもいかず、浅草の漁師は別の場所に移動して仕事を続けることにする。
すると漁師の野口六郎左衛門はある日、杭に多くの海苔がくっついていることに気づく。
それで彼はピコーンとひらめいて、浅草で盛んだった紙すきの技術を応用すると、それまでにはなかった海苔が出来上がった。
こうして誕生した「浅草海苔」がいまの板海苔になったといわれるから、「生類憐れみの令」がなかったら板海苔もなかったかもしれない。
とにかくこれも立派なセレンディピティ。

 

カールの発見は置いといて、板海苔の発見は、野口が杭に付いた海苔に注目したことから始まった。
それまでも多くの人がそんな場面を見たのだろうけど、それで何かをひらめいたことで、野口六郎左衛門は日本の歴史に名を残すことができた。
ほかの人ならスルーすることにも着目する独特の着眼点も、セレンディピティの大事な要素だ。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。