きのう6月30日は大祓(おおはらえ、おおはらい)の日だった。
神道でとてもとても大事な考え方は、罪や穢(けが)れを祓(はら)って心身をいつも清浄に保つことで、そうすることによって災厄を防ぐことができるという。
ではここで改めて、神道について確認しておこう。
高校日本史ではこう習う。
神道
日本の民族宗教。
自然信仰に発し、8世紀頃までは氏神の祭祀を中心に展開したが、律令国家で神社を中心に再編成され、平安時代に神祇制度が整った。「日本史用語集 (山川出版)」
インドから中国・朝鮮半島を通って伝わった仏教は外来宗教で、その前から日本にあった信仰を神道と呼んだ。
歴史的に見ると政治とのつながりが深い。
さて困ったことに、人は生活していると自然と穢れがついてしまうらしいですよ。
それで年に2回、6月と12月の大祓の日が近くなると、日本全国の神社に登場するこんな茅(ち)の輪が現れて、それをくぐることで半年分の罪や穢れを祓うことができ、心と体をキレイな状態にすることができる。

全ての人の罪や穢れを祓い清めるという意味で「大祓」という。
大祓は基本的に年2回だけど、疫病が発生したときなどに例外的に行われることもあり、ことしは新型コロナが流行したことで大祓を行う神社もあった。
この儀式の歴史はとても長く、奈良時代に宮中行事として行われていたという。
まーくわしいことは神社本庁のホームページを見てみればよいのではないでしょうか。
私たちにとって、その年々の節目におこなわれる大祓は、罪や穢れを祓うとともに、自らを振り返るための機会としても、必要なことではないでしょうか。
日本には天照大神に貧乏神、さらにはトイレの神もいる。
八百万の神々のいる神道には罪や穢れを祓う神さまがいて、それを「祓戸大神」(はらえどのおおかみ)という。
これは禍事・罪・穢れを川から海へ流す「瀬織津比売神」(せおりつひめ)や、禍事・罪・穢れを飲み込む速開都比売神(はやあきつひめ)といった神でくわしいことはここを見られよ。
でも、最も多くの日本人が見る祓戸大神といえばきっとこの方だ。

こちらは、清水寺の裏にある地主神社におわす祓戸大神
まったく別々の外来宗教と民族宗教が、同じ敷地に並んでいるというのは神仏習合の日本ならでは。
ところで上の祭壇は仏教が伝来する前の、日本古来の神道の姿をいまに伝える貴重なものというのをご存じだろうか?
まだ神社がなかったころの時代、日本人は、神さまは木や石などにいると考えていて(自然信仰に発し)、必要なときにこんな祭壇をつくって、神を呼ぶ「神降ろしの儀式」を行った。
そして神事が終われば神は元のところへ戻っていき、祭壇も取りはらわれて元の平地に戻る。
家を建てる前に工事の安全などを祈る地鎮祭がまさにこれ。
地主神社のホームページでは祓えの精神は「神道の神髄の一つ」とあるし、大祓の大切を説いている。
今でも地主神社では6月と12月に「大祓祭」を執り行っています。特に6月に行われる「夏越しの大祓」は日本最古の宗教儀礼ともいわれる伝統行事です。
もう茅の輪は片付けられていると思うから、今年の夏にできなかった人は年末か来年に心身のデトックスをしよう。
こちらの記事もいかがですか?
>ところで上の祭壇は仏教が伝来する前の、日本古来の神道の姿をいまに伝える貴重なものというのをご存じだろうか?
>まだ神社がなかったころの時代、日本人は、神さまは木や石などにいると考えていて(自然信仰に発し)、必要なときにこんな祭壇をつくって、神を呼ぶ「神降ろしの儀式」を行った。
織田信長が安土城を建築して、その完成後の姿を、人々に観覧料を払わせて見学させたとの記録があるのですが、その際に、城の最下階の中央に大きな天然石を置き、これを「ぼんさん」と称して人々に御神体として崇め奉るように仕向けたとか。このエピソードは、徹底した合理主義者であった信長が、既存宗教勢力(寺社)の権威を貶めるために「馬鹿げた行為」の例として示したものだとばかり思っていました。
が、しかし、もしかすると、古来日本の伝統的な宗教感覚を信長は尊重して、天然石を御神体として奉納したのかもしれないですね。