日本の歴史の中で「史上最悪の作戦」といえば、太平洋戦争中にビルマ(いまのミャンマー)でおこなわれたインパール作戦だろう。
下の地図で北海道のあたりがインパールになる。
ここには当時、日本と戦っていた中華民国へ武器などの軍事物資を供給する「援蔣ルート」があった。
*「援蔣」は中華民国総統の蔣介石を支援するの意。
背後から武器や弾薬をバンバン運ばれたら中国との戦争は終わらないから、日本はここを攻撃して制圧する「インパール作戦」を決行した。
援蔣ルートのひとつ「レド公路」
「援蔣ルート」を遮断するため1944年に行われたインパール作戦では、インドを支配していたイギリス軍と激突することとなる。
でも日本の最大の敵は内側にいた。
食糧補給をまともに考えないまま大量の日本兵を送りこんだ結果、飢えやマラリアなどで命を失う兵士が続出し、作戦続行が困難となった。
その惨状を見たイギリス軍の兵士がこう書いている。
ボロボロの軍服を着た白骨に、別の白骨がもたれかかり、その上にまた別の死体がもたれかかっている。
三つ目、四つ目の死体になると、死んで間もないためにまだ内臓が残っており、ウジがわいていた。
「責任なき戦場 インパール (角川文庫)」
3万人を超える犠牲者をだしたインパール作戦はいまでは、二度と繰り返してはいけない「最悪の作戦」として有名だ。
これは普通名詞になっていて、前に見たマンガでは、上司からほぼ達成不可能な命令を受けた部下が「インパール作戦かよ」と吐き捨てる場面があった。
戦闘機(爆撃機?)で日本軍を攻撃するイギリス軍
武器も食べ物もない日本軍に対して、これはもう一方的な殺りく。
でも、ビルマのジャングルで白骨となった兵士たちが憎んだのはイギリス軍ではなくて、無謀なインパール作戦を立案・実行した中心人物の牟田口廉也(むたぐち れんや)だろう。
インパール作戦では、ジャングルと2,000m級の山々が連なる山岳地帯での作戦を立案した。この作戦に対しては当初、上部軍である南方軍司令官や第15軍の参謀、隷下師団のほぼ全員が、補給が不可能という理由から反対した。
もしこの作戦が成功すれば劣勢を逆転できる可能性があったから、インパール作戦を支持する軍人はいた。
でもこの無謀な作戦で、最も重い責任を負っていたのは牟田口廉也で間違いない。
最前線は飢えやマラリアなどで戦闘どころではなく、作戦継続は困難と判断した佐藤幸徳・第31師団長は何度も撤退を進言したけど、現場を知らない牟田口は続行を命じて撤退を許さなかった。
佐藤師団長は「軍は兵隊の骨までしゃぶる鬼畜と化しつつあり」と激怒し、司令部に電文でこう窮状を訴える。
「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」
これを知った牟田口は「命令違反」と逆ギレして佐藤師団長を更迭、同じように撤退を進言した第33師団長も更迭した。
兵士が次々と死んでできた「白骨街道」はこうして生まれた。
戦後、インパール作戦失敗の責任を問われた牟田口廉也は、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と主張。
亡くなった兵士への謝罪の言葉は死ぬまでなく、葬儀のときには、自分に責任はないというパンフレットを参列者に配るよう遺言を残してこの世を去った。
ミャンマーにある慰霊碑
史上最悪の作戦が展開されていたときの牟田口廉也の様子を、ビルマにいた作家の火野葦平が記録に残している。
日刊ゲンダイ・デジタルの記事(2020/10/10)
火野が残した手帳には「前線にダイナマイトを100キロ送ると50キロしかないと報告がくる。兵隊が食うのである」とある。ダイナマイトの原料のニトログリセリンは口に含むと甘い味がするのだ。火野はこうも記している。
「牟田口閣下は毎日粥を二度食っては毎日釣りをしている」
古関裕而が「史上最悪の作戦」のビルマで体験した恐怖【今週のエール豆知識】
太公望じゃないんだから…。
当時のビルマで粥(かゆ)は“ごちそう”だったのでは。
少なくとも、ダイナマイトさえ口に入れる修羅場とは無縁の天国に“閣下”はいた。
まさに無能な味方は最大の敵。
これにネットの声は?
・日本人がこれから生きてく上で一番参考にせんとダメなやつだよねインパール作戦って
・牟田口はクズ中のクズ
・これで大往生だからな
・閣下の何がすごいって
無謀な作戦を立てて戦況悪いの無視して部下を見殺しにしただけでなく、自分は後方で恵まれた生活したことだよね
・生き残ったヤツは何で復讐しなかったんだよ?
・こういう「クソ無能が組織の中枢に君臨してしまう」現象って何とかならんもんかね?
・無駄口さんが戦後のうのうと生き延びることができたのは、アメリカ軍にとってはこの上ない功労者だったから
いままでネットでいろんなコメントを見てきて、「悪いのは牟田口廉也だけじゃない」というのはあったけど、牟田口を擁護するものは見た記憶がない。
ほかの悪人なら、たいてい少しは弁護の意見もあるのだけど。
東条英機などの戦争犯罪人は裁きを受けて、絞首刑になった人物も多いけど牟田口は違う。
裁かれることも責任を取ることなく、自分を部下の無能の“被害者”のように演出したまま亡くなった牟田口は、日本人の価値観に反する。
ボクの知る限り、日本人にいちばん嫌われる日本人がこの人物だ。
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>ビルマのジャングルで白骨となった兵士たちが憎んだのはイギリス軍ではなくて、無謀なインパール作戦を立案・実行した中心人物の牟田口廉也(むたぐち れんや)だろう。
それはあり得ないですね。将官であればともかく、当時の兵士たちは「この作戦を立案・実行を命じたのが牟田口廉也である」ことなんぞ知り得なかったはずですから。大半の兵士たちは、おそらく、牟田口を憎むことも敵のイギリス兵を憎むこともなく、自分の身に起きることを恐れ、母親や妻のことを想いながら、地獄の苦しみを味わいつつ、ただ嘆きつつ、死んでいっのだと思います。
自分が、肉親から聞いた「東南アジア戦線における日本軍の実情」は、まさにそんなものでした。だからこそ、許しがたいと私も思う。
インパール作戦における牟田口の暴挙が広く一般に知られるようになったのは、戦後、言論が自由になってからのことです。
歴史上の出来事を現代の価値観に基づいて善悪で評価するのは、現代人が犯しやすい間違いです。現代の価値観に基づいて評価できることは、「取り得る最善の選択であったか」「無謀な判断間違いであったのか」「結果はどうだったのか」「有効であったとみなせるのか」「その判断をした人間は有能だったのか無能だったのか」という客観的な面だけです。
「許しがたい」と評価しているのは現代の自分です。自分の感情は自分で責任を負うべきであり、他人のせいにしてなならないと考えます。
GHQ支配下の時点で裁かれなかったのであれば、敵側のスパイであった可能性が濃厚な方ですね。
でなければ、これほど多くの日本人の命が失われて平然としていられないでしょう。
当時、最前線の兵士たちはこの作戦の実行者が牟田口廉也であることを知っていました。
牟田口の言動があまりにひどく、暗殺未遂事件が何回か起きたほどです。
証拠不十分だったようです。
現在の日本でインパール作戦はないですが、めちゃくちゃな計画で人生を消耗させられるサラリーマンはどこにでもいるでしょうね。