きのう1月27日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」。
(International Holocaust Remembrance Day)
第二次世界大戦中、ナチス=ドイツによるホロコーストによって約600万人のユダヤ人が虐殺されたといわれる。
その象徴だったアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所が解放されたのが、1945年1月27日だったことで、現在この日は世界的な記念日になっている。
ところでこのとき、ホロコーストを逃れた多くのユダヤ人が上海にいたことをご存じだろうか。
絶望の地・ドイツを脱出したユダヤ人を迎え、保護したのは上海の日本人だったことも。
当時、両親に連れられてヨーロッパから上海へ避難した、現在83歳になるユダヤ人のウィックさんがAFPの記事でこう話している。(2021年1月27日
ユダヤ人の避難を許したのは「主に日本人だった」ことを強調する。ナチス・ドイツと同盟を結んでいたものの、日本人は反ユダヤ主義ではなかったと話した。
「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 上海に逃れたユダヤ人たち
上海にたどり着いて助かったユダヤ人は2万人もいるという。が、いまではユダヤ人でもこのことを知らない人は多いらしい。
このニュースに日本のネットの反応は?
・マンガの蒼天の拳に描いてあったよな
・東條は人種差別が大嫌いだったからドイツのユダヤ排斥要求も無視していた。
・河豚計画が実現してたら日本は戦争で負けなかったかも
・上海はあらゆるものを受け入れる国際都市であり魔都だった
・日本人はユダヤに恨みも悪意も無いからな
積極的に弾圧する欧州全体の感覚からして分からん
・杉原氏の功績もだが、この人の功績はもっと大きいんじゃ無いか?
・おまえらホント無駄に物知りだな…(褒め言葉の意味で)
ここにある「河豚計画(ふぐけいかく)」というのは、1930年代に日本がヨーロッパから逃れてきたユダヤ人を満州国に招き入れて、自治区を建設しようとした計画のこと。
ドイツで大虐殺が行われていたころ、上海は日本軍の勢力下にあって、多くのユダヤ人がその中の「上海ゲットー」と呼ばれる区域に住んでいた。
このときドイツから圧力をうけても、日本政府はゲットーを封鎖することなく守りつづけた。
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このことからも分かるように日本はヨーロッパでのユダヤ人の惨状を知って、彼らの命を助けようと具体的に行動していたのだ。
つまり、ナチスの真逆。
にもかかわらず、どこぞの反日キャンペーンが海外では成功していて、日本がナチスと同一視されて「ドイツは謝罪したのに、日本はしていない」というイメージが国際的にはすっかり定着している。
日本が好きで日本に住んでいるボクのまわりの外国人もこの点は同じで、「残酷なことをした日本はその事実を否定して、謝罪を拒んでいる」という認識をもっているから日々頭が痛い。
あの戦争で日本軍がヒドイことをしたのは事実としても、ナチス=ドイツがしたホロコーストという人類史上最悪の虐殺とは目的も内容もまったく違う。
第二次世界大戦がはじまる少し前の上海に、小説家の豊島 与志雄(とよしま よしお:明治23年 – 昭和30年)がいた。
上海に逃げこんでくるユダヤ人はそのころすでに1万8千人いたという。
当時の彼らの生活について豊島はこう書いている。
うち一万一千は日本警備地区の楊樹浦辺に住んでいる。多少の財産ある者はいろいろな商売を始めていて、その一つのバー・タバリンは相当名を知られており、酒は粗末だが、気易いダンスが行わ れ、主人は頭の禿げた愛嬌者で、興至れば自ら歌い且つ踊って見せる。
「上海の渋面 (豊島 与志雄)」
ドイツにいたら、毒ガスで殺されていた人たちだ。
上海ゲットーのユダヤ人難民(1942年)
以上、ここまで書いてきたことについて数年前、有名な海外メディア(たしかニューズウィーク誌)で、上海に逃れたユダヤ人を助けたのは中国人だったという記事を見た。
先ほどのAFPの記事にも、2007年に上海で開館した「上海ユダヤ難民記念館」を取り上げてこう書いてある。
「旧日本軍による上海占領時代に、自らも苦しい立場にあった中国人とユダヤ人とがお互いに助け合っていたことを物語る内容の展示が多い。」
ここの館長の「あれから数十年が経過し、歴史中の出来事の一つとなったが、避難民の一部とその子孫…そして私たちは非常に深い友情を維持しているのです」 ということばの中に日本はない。
当時の中国人はユダヤ人を蔑視していなかっただろうし、ユダヤ人を助けた中国人もいただろうけど、主体となっていたのは上海を影響下においていた日本だ。
せめて日本人ぐらいには、ご先祖のしたことを正しく知っておこう。
上海は別として、オーストリアにいた数千人のユダヤ人を救って「中国のシンドラー」と呼ばれる何 鳳山(か ほうざん:1901年 – 1997年)という外交官はいた。
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樋口 季一郎すら軍人という理由だけでスルーして杉原千畝だけを祀り上げ。同情的だった東条も悪役にしなければならないので無視しているし
>「河豚計画(ふぐけいかく)」というのは、1930年代に日本がヨーロッパから逃れてきたユダヤ人を満州国に招き入れて、自治区を建設しようとした計画のこと。
この話、私が最初に目にしたのは劇画「ゴルゴ13」のエピソードなんですが。
似たようなネタ話はあったかもしれないが多分ほとんど絵空事だろうくらいに思ってました。Wikipediaの記述を見ましたが、まさか、本当にある程度まで実現化しつつあった壮大な計画だとは、夢にも思いませんでした。
欧米諸国を凌ぐ大国になることを目指していた当時の日本政府の意気込みが伝わってきます。
ゴルゴ13にこの話があったんですか。
何という守備範囲の広さ。
あのマンガは本当に勉強になりますね。