京都・平等院にあるミュージアム鳳翔(ほうしょう)館がことし4月、「飛翔二十年 千古不易への挑戦」って特別展を開いた。
千古不易(せんこふえき)というのは昔からずっと変わらない、といった意味。
そこで朝鮮半島にあった高麗(918年 – 1392年)の貴重な仏画が公開されたことで、隣国の注目を集める。
なんせ現存する高麗仏画はとても数が少ないのだ。
日本におよそ120点、欧米に26点、韓国には20点ほどあるだけ。
もともと韓国に高麗仏画はほとんど残っていなくて、20点の大部分は最近になって外国から購入してきたものだという。
その理由を韓国の専門家がこう説明する。
朝鮮日報(2021/05/12)
朝鮮王朝は廃仏政策で仏教遺物を重要と考えなかったせいで、1970年代後半まで韓国国内には高麗仏画が1点も残っていなかった
【独自】14世紀の高麗仏画、京都で発見
日本の奈良時代のように高麗王朝は仏教を国の守り(鎮護国家)として重視して、たくさんのお寺がこの時代につくられた。
が、そんな高麗を倒した朝鮮(王朝)が、国教として採用したのは儒教だった。
仏教を邪教のように敵視した朝鮮は多くの寺院を破壊し、仏教僧が首都(漢陽)に入ることを禁止する。
僧は卑しい身分(賎民階級)に落とされ、国内に1万以上もあった寺は240ほどに限定され多くが破壊された。
くわしいことはここをオープン。
こうした朝鮮王朝の儒教崇拝・仏教排斥の「崇儒排仏政策」を、現代の韓国人は「何してけつかんねん!」と怒っている。(たぶん)
人がつくり出す歴史は千古不易とはいかず、万物流転なのだ。
ボクが韓国を旅行していて感じた日本との違いに、「お寺がない!」があった。
例えば街を見下ろす高僧、おっと高層ビルから夜景を眺めると、教会を示す十字架のネオンがいくつも光っていて、韓国社会におけるキリスト教の存在感の強さを感じた一方、それと反比例するように仏教寺院の影が本当にうすい。
ガイドブックには載っているけど、街中でお寺を見ることがない。
東京に住んでいた韓国人に聞いても、「そこは日本との違いますね。韓国のお寺は街には少なくて山に多いです。だからハイキングをするとよく見ます」とのこと。
この大きな原因が、朝鮮時代に街中の寺院を破壊した「崇儒排仏政策」にあることはさっき書いたとおり。
日韓の事情にくわしい作家の康 熙奉(カン ヒボン)さんが、そのへんの背景を「ワウコリア」のコラムに書いている。
朝鮮王朝が儒教を全土に広めようとしたことで仏教は衰退し、市内から追放された寺院は、人里離れた山中などに移るしかなかった。
それでも、国策ですべての人の心を支配することは不可能で、仏教を大事にする人もいた。
仏教を信奉する人は朝鮮王朝時代にも少なくなかった。特に、王族の女性たちに仏教徒が多く、彼女たちは王宮から出て山の中腹にある寺院によく足を運んでいた。
日本と違う韓国のビックリ~韓国では街にお寺がない
こうした人たちのおかげで、韓国仏教は消滅することはなかった。
だかしかし、「1970年代後半まで韓国国内には高麗仏画が1点も残っていなかった」という状態は避けられなかった。
ちなみに日本でも明治時代のはじめごろ、神道を国教にして仏教を弾圧し、多くの寺や仏像を破壊する残念な出来事はあった。
日本に3年間住んでいて現在は韓国にいるアメリカ人と話していたとき、日韓の違いとして「お寺の存在感」が出てきて、「言われてみれば、たしかにこっちではお寺を見ない」と言う。
後日、「街中で見つけた!」と送ってくれたのがこの写真。
日本に比べれば、こういう町の風景は韓国ではレアなのだ。
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