お盆休みの今日8月13日、1536年のこのころ「天文法華の乱」が起きて京都は大混乱になっていた。
宗教をめぐる戦いはドイツの三十年戦争、フランスのユグノー戦争、キリスト教徒とイスラム教徒との戦い(十字軍遠征)などヨーロッパの歴史では山盛りある。
でも、日本で宗教が原因になって大規模な戦いに発展するのは少ない。
そんな日本史のレアケースが「天文法華の乱」だ。
その騒乱が起こる少しまえ、京都で多くの信者を獲得していて、法華宗(日蓮宗)の勢いは昇竜のように上がりつづけていた。
しかし京都には平安時代に最澄が開いた、歴史と伝統のある比叡山延暦寺というラスボス的な宗教勢力があった。
あるとき法華宗側が宗教問答を呼びかけると、延暦寺が応じ、仏教をめぐって互いのメンツをかけた「絶対に負けられない論争」を繰り広げた結果、なんと延暦寺の僧が負けてしまう。
「ハイ論破」と言われて屈辱と怒りに震えた延暦寺側は、このあと行われた裁判でも負けて、武力でもって法華宗の寺をぶっつぶすことを決意。
論争で負けたら報復として相手を壊滅するとか、それじゃ宗教集団ではなくてヤクザでは?
そう、この当時の延暦寺は強大な暴力集団でもあったのだ。
平安時代、強い権力を持っていた白河法皇でも自分の思い通りにならないものとして、「賀茂河の水、双六の賽、山法師」を挙げた。
山法師とは延暦寺にいた僧兵のこと。
ホトケという人間界を超越した絶対的な存在を持ち出されると、当時の日本でこれに逆らうことは本当にむずかしい。
延暦寺はそんな信仰心や僧兵を利用し、好き勝手なことをしていて、だれも手の触れられないような聖域をつくり出す。
延暦寺はその権威に伴う武力があり、また物資の流通を握ることによって財力も保有し、時の権力者をも無視できる一種の独立国のような状態(近年はその状態を「寺社勢力」と呼ぶ)であった。
こんな集団が論争に負け、恥をかかされて黙っているワケがない。
近江の大名・六角定頼(さだより)の支援を受けた延暦寺は、6万の兵力でもって京都市内へなだれ込むと、それを迎え撃つ法華宗側2万との間で激しいバトルがぼっ発。
そしてきょう8月13日までに“延暦寺軍”は、京都にあった法華宗の寺を根こそぎ焼き払って、数千~1万人の信者や僧を殺害する。
これで法華衆は壊滅し、京都から追放された。
「天文法華の乱」のせいで京都の多くの建物は消失し、応仁の乱を超える被害を出す。
仏教とは何なのか。
このころの延暦寺は現在とはまったく違って、制御不能の武装集団でもあった。
白河法皇でも手出しできずに強大化していき、独立国のようになって、勢いの盛んだった法華宗を武力で撃滅する。まさに敵なしといった状態のところに、織田信長が現れる。
信長が焼き討ちをしたことで比叡山は大打撃を受け、その後に政教分離が進んで純粋な宗教集団へなっていく。
だからこれを、織田信長による「日本人に与えてくれた最大の贈物」と表現する人もいる。
信長は多くの人を殺した残酷な人間だけど、歴史を見れば、延暦寺もヒドイことをしたし、多くの人の命を奪った。
この集団にはいつか武装解除させないといけなかったし、そんなことができる人間なんて魔王のような織田信長しかいなかった。
1536年の天文法華の乱で法華宗を壊滅させたら、1571年に織田信長の猛攻をくらって大ダメージを負う。
仏教的に考えると因果応報か。
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