日本人に人気の海外旅行先ランキングで、常に上位をキープしていて1位を獲得することもあるのがハワイ。
かつて独立国だったこの南の島が、日本に重要なお願いをしたことをご存じだろうか。
きょう11月28日は1843年に、ハワイ王国がイギリスとフランスから独立国として認められた日で、独立記念日とされていた(Independence Day)。
でもネタバレすると、50年後にその地位を失ってしまう。
この後、徐々にアメリカの影響力が増してくると、「このままだとハワイを奪われてしまうかも」とカラカウア王は危機感を募らせる。
でも、こんな小さな島国が強大なアメリカと対抗するのはどう見ても無理ゲー。
かといって、アメリカの支配下に入るのはイヤだ。
では、どうすればいいのかと悩む国王。
そんな時、出会ったのが明治天皇です。
ハワイ王国の存在を国際的に認めさせることを目的に、1881年にカラカウア王は中国、アジア、ヨーロッパを訪問するワールドツアーを行った。
このとき日本を訪れたことで、カラカウア王は「初めて来日した外国の国家元首」という称号をゲットする。
彼はアメリカの野望からハワイ王国を守るため、明治天皇に、姪のカイウラニ王女と日本の皇太子を結婚させて、ハワイを日本の保護下に置くという計画を持ちかけた。
he tried to forestall American ambitions by offering a plan to Emperor Meiji for putting Hawaii under the protection of the Empire of Japan with an arranged marriage between his niece Kaʻiulani and a Japanese prince.
どうする日本?
カラカウア王
1877年に日本最大の内戦である西南戦争が終わって、カラカウア王が来たころ、日本では国内が一丸となって本格的な近代化が進められていた。
その目的はハワイ王国と同じで、欧米列強から主権を守り抜くこと。
ハワイを日本の保護国にすれば、西洋への対抗力はさらに増大する。よし、この申し出を受け入れよう!
…という展開にはならず、アメリカを敵に回したくなかった日本は、結婚の話を含めてカラカウア王の提案を「ごめん、ムリ」よりは丁寧な言い方で断った。
ワールドツアーの10年後、1891年にカラカウア王が死去すると、妹のリリウオカラニが女王になる。しかし、もうハワイの運命を変えることはできず、1893年にアメリカに併合されて王国は滅亡した。
あのときハワイ王室と日本の皇室が婚姻関係を結んでいれば、ハワイの独立は守られたかもしれないし、ハワイはいまごろ国内旅行になっていたかも。
まあ歴史の「タレレバ定食」はおかわり自由だから、言い出したらキリがない。
カイウラニ王女
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